2017-01-01から1年間の記事一覧

『石神問答』成立の背景

石信仰の原点である『石神問答』は定本柳田国男集の第十二巻に入っている。書簡体が基調の奇妙な研究論文だ。嘉田貞吉などの著名人がいるが、どうして柳田国男はこのような人びとと書簡を興隆するようになったのかがまったく不明瞭なままだ。 実は東大の人類…

東北の悪路王と房総の阿久留王

宮沢賢治の傑作「原体剣舞連(はらたい・けんぶれん)」には次の一節がある。 Ho!Ho!Ho! むかし達谷(たつた)の悪路王 まつくらくらの二里の洞(ほら) わたるは夢と黒夜神(こくやじん) 首は刻まれ漬けられ アンドロメダもかがりにゆすれ 青い仮面(めん)…

地形と景観からの江戸時代の変化のメモ

戦国大名は各地でいまだに尊敬されている。仙台では政宗公、新潟では謙信公だし、山梨では信玄公、薩摩では島津様と尊称される。 領国経営に彼ら戦国武将たちは力を入れたからであって、いくさばかりしていたら誰も「公」などと呼びはしなくなっただろう。民…

江戸時代の文化的生産力の高さ

文系出身でなかれば江戸時代の文化などは通りイッペンのことどもしか知らない。馬琴とか秋成や芭蕉・蕪村などだ。しかし、実際のところ江戸人の文化は全国各地で花開いたというべきで、多くの書物が出版された。 その内容は種々雑多、多彩なものだというのは…

世界で一番古い家系

それは孔子の直系の子孫である。1949年に台湾に移住した孔徳成は第77代であった。2008年になくなっている。 日本の天皇家も古いことは確かであろうが、孔子のように歴史的には遡れない。何と言っても孔子は紀元前5世紀の実在の人物である。わが神武天皇は…

バチガルピのSFの混沌のアジアと日本

大航海時代の東南アジアで日本の女性はひときわ高く売買されていたという。 バチガルピの近未来(ねじまき少女)のエミコはその残像ではないかと思わせる。 エミコは少子化に直面した日本の遺伝子工学が生んだ「新人類」である。 『ねじまき少女』は2008年の…

賞味期限がない加藤秀俊の「漫文」

「漫文」というと失敬な表現になってしまうが、加藤秀俊の一般向けの文章はとてもとても手が込んでいることが分からないほどにスズロ(漫ろ)で洒脱な論文だ。 そもそも加藤秀俊の学問はその著者紹介を読んでも判然としない。おそらく社会学者なのだろうが、…

金門島と米中代理戦争

多くの人は「金門島」がどこにあるかなど知らない。知らないどころか、関心もまったくなく、この台湾の領土が中国本土と2kmしか離れていない孤島であるも初耳であろう。 1958年に中華人民共和国の人民解放軍と中華民国軍が本格的に砲戦があったことは一部…

「撃攘の歌」の古代中国

中国古代の民衆の歌が残る。題して『撃攘(げきじょう)の歌』 なんとも力強く芯の通った歌謡である。現代詩には喪われた原初の響きがこだましている。 日出でて、はたらく 日おち、ねる 井ほり、飲む 田たがやし、食う 帝の力、われに何の関わりあらん 原漢…

伝説的ワイドスクリーン・バロックのSF作家ハーネス

ブライアン・オールディスがその古典的評論『十億年の宴』でSFの一つの頂点として打ち上げた様式が「ワイドスクリーン・バロック」であった。そのことは古株のハード系SFファンの記憶にしか残っていないであろう。 典型がアルフレッド・ベスターの『虎よ!虎…

洞窟と古代人の死後の世界観

海岸沿いの海蝕洞窟に多く弥生人やその後継者たる大和民族の墓地が日本列島のあちらこちらに存在する。 古代人がその墓地をどのように観念していたかについて窺い知れる文字資料は出雲風土記の猪目洞窟についての記述くらいだろうか。 「夢にこの磯の窟の辺…

日本精神の千年の知己 インド詩人タゴール

アジア人で最初のノーベル賞(文学賞)受賞者はタゴールであります。このインドの天性の芸術家は戦前の日本を好んで訪れた。 最近流行りの日本人の自画自賛コンテンツはどうにも平板で深みがないようだ。 ここでは、西洋文明も東洋文明も客観視できた、インド…

ボルヘスの後にはボルヘスなく、ボルヘスの前にもボルヘスはおらず

つまるところ、すぐれた書物が自律的な宇宙を形成していることを余すことなく告げた預言者はボルヘスただ一人であった。 それは最近、文庫化された『語るボルヘス』でも再確認できる。 「書物」「不死性」「探偵小説」「スウェデンボルグ」「時間」の五つの…

想像のなかのカタルーニャ精神の系譜

バルセロナの古い意味はフェニキア語で「バルカ家の町」だとするのは宮崎正勝の『海からの世界史』だけだ。 このバルカ家というのは、ともするとカルタゴのハンニバルの属する一族、バルカ家を連想してしまう。 事実、ローマとの第一次ポエニ戦争に敗戦して…

モーゼが十戒をさずかった山

このところ、ユダヤ教や旧約聖書の世界にちょっとだけ浸っている。 最近のように雨が多いと乾いた大地の神話が馴染みやすい。ほんとに秋だと言うのにいじけた陽気だ。 ユダヤ教は世界宗教のなかで起源の古さもさることながら、至高の唯一神なる独自な立場を…

少女たちの完璧インナーワールドを感じる

バーネットの『小公子』などが典型なのだろうが、女性の生み出すフィクションにおいて、見られる天界から降臨したような主人公と天使の眷属たちのような登場人物たち、純粋な悪はなくて境遇がその人物を敵役にしているだけである。 そういうキラキラ光るよう…

オノマトペについて一言

このことばオノマトペ(擬音語)は、30年前はポピュラーなことばではなかったはずだが、ここ10年くらいで急速に市民権を得た感がある。そもそもの自分のはじめの記憶は萩原朔太郎が論究していた覚えがある。 オノマトペについての出版はプチブームかもしれな…

やる気をなくさせる名言集

悲観的な見方を増幅させるネガティブ名言集なるものは少ない。少ないのには理由があって、後ろ向きなチャレンジは誰もが毎日実践しているので、類まれな雄弁でそれを推奨されなくとも注目されないのであろう。 ところが逆に、この名言集でペシミストの一部は…

大石神社その他

大石神社といえば赤穂の大石内蔵助を祀った大石神社が著名だ。ここではご近所にある大石神社は長津田という町の中心的な鎮守様であるのだが、チョイと奇妙な由緒書きがある。 長津田といってもご存知ないだろうが、横浜市の西側(緑区)にある古い町だ。 在…

さえずる岩など

昔の人は岩が音を出す、話す、鳴動するというのを何の不思議もなく自然体で受け入れていた。 おうむ岩、こだま石、山彦石、ほめき石, うなり石、ほいほい石、夜鳴き石、呼ばわり石, さえずり石などいろんな名称が伝わる。音の出し方もさまざまだったのであろ…

トロツキーの弁明

ロシア革命の悲劇のヒーローというべきレオン・トロツキーは、天賦の才能に恵まれた英傑だったのは確かであろう。組織をまとめる才覚はレーニンに継ぎ、比肩するもののない雄弁と判断力と機転がある。白色反革命を凌いだその軍事的能力も党内随一だった。 多…

催馬楽の歌詞の意味不明すぎ

平安時代の歌謡である催馬楽(さいばら)の一つ、「阿知女作法(あちめのわざ)」を紹介しようと思います。 紹介といっても内容を書き写すだけで意味を伝えることは自分にはできません。というのも国文学者のお歴々が、「意味不明」と匙を投げているからであ…

ピュタゴラス教団の意味不明の禁則事項

ピュタゴラスというと古代の数学者だろうということ一般人は分かり済ましたつもりになっている。だがそういう単純な話ではない。 左近寺祥子の『謎の哲学者ピュタゴラス』は分かりやすい内容でありがなら、よく古代の哲学者の情報を伝えてくれる。 その「世…

房総半島 伝承の吹き溜まりの地

千葉県の伝説をみて感じるのは、よそ者や流人の伝説を大切にする傾向があることだろう。 猿田彦、大和武尊、大友皇子、役行者、和泉式部、松虫姫、羽衣の天女、義経や金売吉次などだ。役者に不足はないほどだ。弘法大師や日蓮などは除外しておこう。 その例…

芸能民の信仰の多層性

放浪芸を営む流浪の民は日本中世にもいた。その信仰については折口信夫から始まり、林屋辰三郎、脇田晴子、五来重などによる多くの研究がある。 その代表格である服部幸雄の『宿神論』から、芸能民の神の多層性というべき特性を切り抜いておこう。 能の源流…

相州三ノ宮 比比多神社

三ノ宮巡りをしているわけではないけれど、地元の一宮=寒川神社、二之宮=川勾神社へお参りしたこともあり、三ノ宮である比比多(ひひた)神社への参詣を遂行した。 伊勢原市の北側にこの社は鎮座する。だが伊勢原市自体は名もない一地方都市でしかない。大…

澁澤一族のグランド・チルドレン=オタクたち

三井や住友、三菱財閥と並んで澁澤栄一は日本の経済的勃興に多大な貢献をした人である。その起こした企業の数は500以上とも言われる。 この澁澤については、ここで書きたいことではないのでWIKIから引用しちゃう。 第一国立銀行ほか、東京瓦斯、東京海上…

自炊本と読書デバイスとしてのTablet

自炊本が山ほど溜まってきたが、ようやくこの程Kindle以来の読書端末を取得した。実際にはKindleのPDF読書は使いものになっていなかった。ページメクリがとんでもなくトロイので見捨てていた。なのでTabletには反発を感じていたのだ。でも電車などや身の回り…

『君の名は。』 神道的視点から

新海誠監督のアニメ『君の名は。』(2016)は神道的な視点からも興味深い作品であった。 はじめに気づくのは、舞台や登場人物に「水」の関わりがある設定があることだ。 なぜか隕石の落ちた跡は湖となっている。主人公たちの通う高校は湖を見下ろす場所にある…

聖地巡礼の比較観光学

お伊勢参り、大山詣とか成田山初詣とか、江戸時代から何かにつけて日本人は「聖地巡礼」にかこつけては旅をしていた。 その旅という言葉は「足袋」におけるように歩く旅が基本であった。杖をついてお参りするのが常識であった。それがいつの間にやら、便利な…