『石神問答』成立の背景

 石信仰の原点である『石神問答』は定本柳田国男集の第十二巻に入っている。書簡体が基調の奇妙な研究論文だ。嘉田貞吉などの著名人がいるが、どうして柳田国男はこのような人びとと書簡を興隆するようになったのかがまったく不明瞭なままだ。

 実は東大の人類学教室を率いていた坪井正五郎が組織した「集古会」がその人脈ネットを生み出したことがわかっている。山口昌男の『内田魯庵山脈』の精神的遺産である。
 当時の人類学教室はオープンだった。
集古会は明治29年1月に上野の料理屋で初会合を開いた。集まった会員は「質屋あり、太物屋あり、役者あり、焼き芋屋あり、新聞記者あり、探偵あり、本屋あり、古物屋あり、茶人あり、俳諧師あり、百姓あり」といった有り様だった。
 このメンバーに山中笑、和田千吉などが含まれていた。また、白井光太郎幸田成友内田魯庵などと面識を得るのだ。

というわけで、柳田国男坪井正五郎内田魯庵の人脈ネットワークを早々に築き上げていた。