2015-07-01から1ヶ月間の記事一覧

司馬遼太郎の観た「超能力」

あまりに著名だけど盲点になっているとしか思えないのが、司馬遼太郎が『街道をゆく』で書き残した超常現象の体験である。 超能力に批判的なはずの週刊朝日も当時は緩かったというか、大家には頭が上がらなかったというべきか。 その体験を引用しておこう。…

カオスの意外な語源

カオス=混沌の意味の大本は、ギリシア語の「khasme」つまり、「あくび」である。「kha」とはクヮーと口を開けることである。河野与一はその随筆で書いている。 更に、河野与一が言うにはヘシオドスの『神統記』の宇宙創生の「khaos」も、 始めにあくびいで…

維摩経vs論理哲学論考

表題から深い議論を期待してはいけない。 表面的な比較をしてみるだけだ。 『維摩経』は在家仏教の教えをとく経典、大乗仏教の名作として知られる。維摩は仮想の存在だ。他方、『論理哲学論考』はウィトゲンシュタインという分析的知性の強靭な思考の産物で…

縄文図象からみた大地母神としてのイザナミノミコト

最近になり縄文図象学なる研究があることを知った。考古学からはみ出し縄文土器の図象から古代信仰を読み解く試みだ。 とりわけネリー・ナウマンなるドイツ人の研究が刺激になって、「山の神」なるシンボルを土器から拾い出している。日本民俗学では山の神は…

兵馬俑と埴輪の比較霊魂論

秦の時代といえば前三世紀であり、いかに兵馬俑が古代であるといっても後三世紀の日本の古代=古墳時代前期より数百年も前だ。だからこそ、そのありえない程の写実主義は「秦」の人間像が確固たるものだったかを物語るのであろう。兵馬俑で不思議なのは個々…

現代文明に埋め込まれた未開空間

名古屋以西の大都市では神社が繁華街の中にまるではめ絵のようにスッポリと埋め込まれている。ソレに比して関東圏の大都市の街なか神社は申し訳な下げにお稲荷さんがちんまりと鎮座する感がある。 下の写真を見られよ。名古屋駅から歩いて数百メートルの高層…