家族を描く長寿番組の日米対比からの社会変遷の差

 『パパは何でも知っている』『ルーシーショー』『底抜け億万長者』『名犬ラッシー』『大草原の小さな家』など昭和の日本のお茶の間を釘付けにしたアメリカのTV番組は当時の家族像、つまりは日本の民衆の憧れのアメリカンライフをまざまざと植えつけた。ルーシーショーは寡婦とその子供たち、大草原の小さな家は開拓時代の家族の話であるにしても、いずれも親子を基軸にしていることは付記しておく。

 それにしても、だ。

 この手の家庭を描いたアメリカのテレビシリーズはほぼ存在していないのに。お気づきであろうか?

 ティーンズ学園ものや子育て夫婦、若者だけのルームメートといった設定はシリーズあるかもしてないが、複数世代をまたがる多人数家庭を舞台とするシリーズはアメリカにおいては、昔を今に寄すしもがななのであろう。

 それに対して、この島国では『サザエさん』がある。描かれている磯野一族の構成は、おそらくは地方において細々と存続している形態だろう。

 祖父母にあたる磯野波平(54)とフネ(50)の長女はサザエさん(24)とその夫マス夫(28),その子供タラオ(3)である。サザエさんの兄弟のカツオ(11)とワカメ(9)からなる7人家族だ。

 この番組はなぜ続いているのだろうか?

ひと世代前のモデルファミリーなのだ。このアーキタイプを夢見て、人々はライフプランを描く、あるいは描いた思い出があるのだろう。

 そして、『ちびまる子ちゃん』はややスモールな構成になってはいるが、これも昭和の後半の家族モデルだろう。

クレヨンしんちゃん』ともなれば。平成時代の家族像にグッと近づく。核家族だ。

それでも野原家には子供が二人いるし、ダブルインカムではない。

 今や、子供がいない家庭のほうが多数になろうとしている。上野千鶴子先生ご推奨のおひとり様の時代の到来である。これは、同時代のアメリカンライフとはやや異なるが、個と弧の時代精神は共通のものとなっている。

 アメリカは、共通の家族像を持てなくなっている。だから、クレヨンしんちゃんではなくて、スポンジボブになってしまうのだ。人ではなく海洋生態系でしか、ライフを語れないのだ。