種族の集団的な適応と暴力

 少子高齢化という自然&文化選択がありうるだろうか?
 高齢化の大きな要因の一つは小児死亡率の減少である。高齢者が人口の二割になり、生産者層が半部以下になる。
 多くの人たちは家族は少人数の子育てをすればあとは自分の老後の準備をすればいいという、すなわち十分な長さのセカンドライフを愉しめばいいと考えている。他方で若者は政治的弱者となり、自分探しにも就活にも婚活にも苦労している。
 先進国の多くはそんな有り様となっている。

 問題はそういう年齢別人口構成や世代格差でいいのかということだ。それで社会は維持できるのかということだ。

 その答えは生産や輸送手段の集約化=自動化の進行が至るところで起きていることに求められる。
 電車の運転をみても少人数で大量のヒトやモノを運ぶ方向になっている。小売業すら、昔と様変わりしているのをみてもらえばいい。
 魚屋、肉屋、八百屋、米屋、酒屋、味噌屋、果物屋そういった細かな食品小売は姿を消している。これは衣食住すべての小売業で進行した。
 シャッター通りが地方で問題となっているが、日用品のショッピングは多くの従業者を必要としなくなったのだ。
 そうした変動の結果として、若者層の失業率はどの先進国でも高止まりしている。多くの未熟練労働者を吸収するような業種はなくなってきているのだ。

 このように、集団生活の維持に分厚い若年層人口が不要になるということが証明されれば、高齢化社会というのはある種の自然選択、社会環境への適合過程であるということが言えるかもしれない。
 それで安心はできない。

 実際には、若者層を必要としている現場は戦争なのではないか?
あるいは暴力による反体制活動だ。
 国家間の全面戦争がおこれば、ふたたび若年層が必要となり主導権をとる時代になるように思う。
 ご存知のようにISは多くの若者を呼び寄せる魅力を持つ。
 若者にとって重苦しく生きにくい世の中にしているのは事実なのだろう。そのイデオロギーナショナリズムだったり、イスラム原理主義だったりするわけだ。この哲学の貧困は紛れも無いことだが、時代精神の逼迫は早急に解決しなければならない。


自爆する若者たち―人口学が警告する驚愕の未来 (新潮選書)

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