2018-04-01から1ヶ月間の記事一覧

姥神を思う

写真は北陸の立山の媼堂の姥神神像である。子どもが泣き出しそうだ。魁夷な外見ながら人びとを守る神である。このような姥神の信仰は日本各地に残されている。 研究の先鞭をつけたのは柳田国男翁である。 『日本の伝説』ではこんな解説を残している。子供向…

往復ビンタのセマンティックスとまでいかない意味論

体罰がなくならない。しかし、その良し悪しは簡単には決められないのではないか。 一概に体罰はアクと決めつけられないのは、身体的な痛みを通して分かる知識というのもあるような気がするからだ。 だいたい、教師だって人間だ。愚かで無知な生徒が、とめど…

宮本武蔵が現代のアメリカ人にウケるのは何故か?

江戸初期の剣豪、宮本武蔵の『五輪書』、英語名「The Book of Five Rings」は東洋の思想書として、アメリカでバツグンの知名度を誇る。 本当であろうか? 例えば、アマゾンの英語サイトで「The Book of Five Rings:A Classic Text on the Japanese Way of t…

信仰対象が巨大化する文化

星野之宣がその劇画で主張していたけど日本では特定の事物が巨大化する。彼が挙げてたのは「古墳」と「銅鐸」だったかな。朝鮮半島の古墳は仁徳陵や応神陵、正確には大仙陵古墳と誉田御廟山古墳に大きさにおいては負けている。 ていうか、古墳のサイズは日本…

武寧王(ブネイオウ)とその王陵

百済の武寧王(462-523)は大和朝廷の継体天皇と同じ時代の支配者である。高句麗に対抗するためもあり、外交に力を入れた。梁の武帝のもとに使いをやり、日本にも五経博士、段楊爾を派遣している。 実は梁の武帝は名君の一人とされ、505年に五経博士の制度を…

神仏習合の始まりの件

日本史上、最初に仏教に帰依したのは九州、宇佐の八幡神だ。聖武天皇の時代、8世紀の国家的事件だった。 人びとが群れをなして八幡神を奉じて、九州より上京した。そして、当時竣工したばかりの奈良の大仏までやってきて、拝礼したのだ。 『続日本紀』にでる…