星野之宣がその劇画で主張していたけど日本では特定の事物が巨大化する。彼が挙げてたのは「古墳」と「銅鐸」だったかな。朝鮮半島の古墳は仁徳陵や応神陵、正確には大仙陵古墳と誉田御廟山古墳に大きさにおいては負けている。
ていうか、古墳のサイズは日本に来てから巨大化した。大きさにおいては始皇帝陵くらいがまさるだけだ。おそらくは百済や新羅の向こうを張るために大仙陵古墳と誉田御廟山古墳を造営した可能性が指摘されている。いずれも、朝鮮半島の使節が難波の海上から一望できる場所にあったからだ。
中国大陸の青銅器である「鐸」は卓上の楽器みたいな大きさだったが、日本に来てから1m超えの銅鐸になった。弥生時代の銅鐸はやがて縮小をはじめて、どうやら神社の「鈴」がその子孫ということになりそうだ。
問題は「大仏」なのだ。
タリバンが壊してくれたバーミヤンの石仏(55m)や漢の則天武后が造成させた奉先寺大仏(17.14m)がある。672年に奉先寺大仏は開眼したというが、これが日本の大仏の原型とされる。
いずれにせよ、これらは大陸の寸法ではある。
奈良の大仏、すなわち東大寺の毘盧遮那仏は752年に開眼供養。高さ14.7mという。大国の漢に負けてはいない。
さらには朝鮮半島、新羅には毘盧遮那仏の大きいのは残されていない。三国を統一した新羅は国力もあったはずだが、華厳宗の鎮護国家思想と民衆動員が結合しなかったようだ。
仏教の民衆化に貢献した行基の後継者が大仏造営に関与したから実現できたようなものだ。
その後、近代に於いて再び、大仏造営活動が盛んになる。今度は坐像ではなく、立像がその高さを競うようになる。
1992年に完成した日本の牛久大仏(120m)、それに2008年竣工のミャンマーのレイチュンセッチャー大仏(129.5m)、それと世界一の中国の魯山大仏(208m)だ。これも2008年にできたが台座でもって、ミャンマー大仏に打ち勝っている。それにしても中国共産党は仏像に肩入れするようになったのは時代の流れなのだろう。
いずれにせよ、巨大化の先鞭をつけたのは日本だ。
島国には過ぎた大きさなのだが、巨大化させる傾向も日本文化の特徴なのだろう。文化とは違うのだが、貝塚も世界最大級のものがある。加曽利貝塚だ。これなどは日々の営為の長さが蓄積された結果なのだろう。
一方で、巨大化指向は太平洋戦争における戦艦大和、伊号潜水艦などにも現れていた。兵器の巨大化はアニメのロボットに引き継がれている。
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