百済の武寧王(462-523)は大和朝廷の継体天皇と同じ時代の支配者である。高句麗に対抗するためもあり、外交に力を入れた。梁の武帝のもとに使いをやり、日本にも五経博士、段楊爾を派遣している。
実は梁の武帝は名君の一人とされ、505年に五経博士の制度を制定したばかりだった。五経とはもちろん、四書五経の五経だろう。武帝は儒教的官僚制度の拡充を図ったわけだ。
その陵墓は1970年に発掘された。これが日本の古墳の玄室との出来が全然違う。全然、別格なのだ。
武寧王陵の洗練された様子を強調したかった。レンガ造りで工芸品のような緻密さだ。巨石を積み上げた粗造りの和製古墳とは違う。この手の技術は日本には渡来しなかったようだ。また、その棺が日本の木材を使っていたことも特筆されるべきだろう。武寧王の子孫が高野新笠、つまり桓武天皇の母親であるという。
ところで、『日本書紀』では武寧王は別名「斯麻王」とも呼ばれ、「筑紫の各羅嶋(からしま)」で生まれたというのは歴史家の上田正昭も指摘していた。つまり、九州で生まれた男児が百済の王になったのだ。朝鮮側からして加羅というのは任那(朝鮮半島南部)と九州の一部を指すというのは確からしい。かなり強い紐帯が半島南部と九州にあったということだ。
『三国史記』や『日本書紀』の記述はこの時代、それほどずれがないのは興味深い。書紀を百済系渡来民が『百済史』をもとに編纂したからなのだろう。
【参考資料】
綿密で貴重な儒教史研究。朝鮮半島を良くも悪しくも貫いたイデオロギーだ。北朝鮮もマルクス主義だけでなく儒教イデオロギー無くしては語れないだろう。
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半島の古墳を知らないと列島の古墳は理解できないだろう。
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日本の古代史において朝鮮半島との交流は不可欠だと上田教授は言っておった。
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