百済の武寧王(462-523)は大和朝廷の継体天皇と同じ時代の支配者である。高句麗に対抗するためもあり、外交に力を入れた。梁の武帝のもとに使いをやり、日本にも五経博士、段楊爾を派遣している。 実は梁の武帝は名君の一人とされ、505年に五経博士の制度を…
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