2018-01-01から1ヶ月間の記事一覧

名も無きセーヌの乙女

西洋文化で共感しにくいのが肉体への固執、偏愛である。それは死後のbodyにも連続する。その情念がキリスト教の来世観、つまり、「復活」=肉体の蘇りの信仰と関連がありそうではないかと自分は密かに考えている。カタコンベの頭蓋骨や蝋人形館の歴史なども…

知日的中国人による最近の日本人への批判について

このところ(2017年最終四半期から18年第1四半期にかけて)、中国からの声のそこここで日本に対する憂慮の念のこもった批判がネットで目につく。例えば、ここ。 曰く、日本は下り坂にある。リスクを取らない若者たち、老人だらけの地方都市、外国観光客のい…

女神の土偶と片足の山の神

前のブログを再説する。「チンバ」は放送禁止の禁句だが聖なるスティグマの意味ととっていただこう。 土偶のうちの一部は原始地母神なのだろう。その痕跡が山姥民話に残されているとする吉田敦彦のような神話学者もいるくらい、その影響は近代まで続いていた…

うずみ火や我がかくれ家も雪の中 蕪村

身も心も震える厳しい寒さの冬のよる、 うずみ火や我がかくれ家も雪の中 なる蕪村の句は深々と響きわたる。 似た風合いの句として「桃源の路次の細さよ冬ごもり」を付け合わせると、狭い我が家でもって、暖房を補う厚着にくるまれ寒い手元をこすりながら、そ…

フィギュアの先祖様 土偶 再見

縄文時代の土偶はすでに2万体も発掘されている。そのうち4体が国宝指定になっている。独自性としては狩猟採集文化であるのに地母神的な形象を有していることとされる。縄文時代通期で3000万体作成されたと推定される。当時としては一大文化プロジェク…

君よ、知るや美弥良久(ミミラク)の島を

『蜻蛉日記』にわずかに言及される死者に会える最果ての地美弥良久(ミミラク)は現在の五島列島南端,福江島の三井楽(みいらく)の地に比定される。 いつことかをとにのみきくみゝくらのしまかくれにし人をたつねん と道綱の母(九二七―九九五)の日記にあ…

盗人の神社がある 青木神社

神社というと天地神明に誓って悪には加担しないような場所という思い込みがある。 でも例外のない規則はない。ヌスト神社なるものが横浜にある。 正式な名前は青木明神社である。青木神社で地図にある。京急線の上大岡駅の近くの大岡川のたもとにある。 祭る…

第二次世界大戦の日独軍事裁判の比較から

ドイツではニュルンベルク裁判の後にもホロコーストやナチズムの民族浄化に関わる人道的犯罪の訴追を自立的に継続した。その倫理的規範に基づく行動は見上げたものである。 その独自な訴追の結果はこんな数字に現われている。 1989年時点の集計である。 捜査…

イスラーム圏が戦前の大日本帝国へ寄せたシンパシー

第二次世界大戦、その一連の戦争のなかでもとくに太平洋戦争は帝国主義戦争であると同時に人種戦争でもあった。これは確実な特徴であるといってよい。 当時の日本は本当の敵であったはずのソ連ではなく、アメリカに戦争を仕掛けたのか。ほとんど勝ち目のない…

『君の名は。』と似た設定の洋画

アニメ映画のメガヒット『君の名は。』の類似設定の映画については大林宣彦監督作品『転校生』や日本の古典文学である『とりかえばや物語』などをあげる論説もあった。 それらはLGBTあるいはトランスジェンダーの時代にふさわしい物語りという点に集約されて…