縄文時代の土偶はすでに2万体も発掘されている。そのうち4体が国宝指定になっている。独自性としては狩猟採集文化であるのに地母神的な形象を有していることとされる。縄文時代通期で3000万体作成されたと推定される。当時としては一大文化プロジェクトで、日本列島中ドロのフィギュアで溢れていた感がある。
そのなかでも印象的な土偶を選んでみた。
はじめの一体。まるで仁王立ちのカミさんのような威厳のある立像だ。神奈川県出土のもので内部に幼児の骨を収めていた。腹部の渦まく文様は子宮であろう。生け贄の幼児という説もあるらしいが、マヤ文明などでの生け贄の神像は空恐ろしさがある。それに比して、こちらは母性が漂うのは気のせいか?
よって、幼児の死を悼んだものと考えたい。
北海道出土のものだが、亀ヶ岡式土器に分類されている。この骨太さと大味はなるほど道産子(どさんこ)だ。上のカミさんと同じく何かを語りかけているようでもある。
このクリオネのような象形は岩偶だ。秋田県のもの。
土偶と異なり文様は少ない分、そのシンプルさがモダーンだ。
茨城県の土偶。怪獣のご先祖と言っても過言ではない。縄文後期のものだ。
現代のスクリーンで暴れまわる怪獣というのは原始的な地霊の再臨なのかもしれない。
世界に多神教の神像は数多かれど、数千年前の芸術である土偶に親近感を覚えるのはなぜか。
この造形を生み出したDNAが自分にも伝わっているからであろう。
土偶のうちの一部は原始地母神なのだろう。その痕跡が山姥民話に残されているとする吉田敦彦のような神話学者もいないことはない。
だとすれば、楽しいことだ。
一つ、自分の仮説を呈しておきたい。土偶がほとんど破壊される。しばしば片手、片目、片足が壊されて埋められるのを何と説明するのか。
柳田国男の『年中行事覚書』から引用しておこう。
信州の犀川流域などは一般に、物の高低長短があることを山の神といい、その根本には山の神が片足神であるという俗信がまだ残っているらしい。現在は片足神がすでにちんばとなり、それ故にまたこの日の膳に長短の箸を上げ、さらに長いものをもう一本、杖つえとして添えるのだなどといっている処も方々にあるようだが、最初はただ我々の山の神が一本足で山を降り昇りせられるものと、単純に信じ得た時代もあったのだが、追々とそんな事は信じにくく、古い話を少しずつ改造しなければならぬようになったのではあるまいか。私などの聴いているだけでも、今でも山中にそうした形をした霊物が住むという話が怪談のようになって各地に保存せられている。
かの遮光土偶が片足で出土したのは、片足の神が本来のあり方だったからではないか? 神の像であった土偶は土に戻される時に本来の姿に立ち帰る。
『一つ目小僧その他』でも目次で見られるように、すでに片目の異神たちの列だ。
1つ目小僧 一〜二一 補遺 目一つ五郎考 多度の竜神 神蛇一眼の由来 一つ目と片目 神片目 御霊の後裔 神人目を奉る
縄文人たちはなぜ神の像たる土偶を殺めたのか? しかして、その非対称な不自由な身体は、何を語りかけてくれるのか?
【参考文献】
この本の序文にあるようにサザビーズのオークションで土偶がとんでもない高額で落札された。まあ、そのユニークさが評価されていることなのだろう。
- 作者: 江坂輝彌
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2018/01/13
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山姥の昔話を古事記日本書紀と対比させ、南方の神話の類似点を論じた先駆的著作。「第七章 縄文時代中期の土偶と土器」が面白い。
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