山の神と『年中行事覚書』

 柳田国男の『年中行事覚書』はその地味なタイトルのせいで等閑視されることが多い。自分もそうであった。アナログ媒体として所有はしていたが、まともに読み終えたのは「青空文庫」で公開されてからだ。2年もたっていない。

 山の神民俗学の始まりのときから、重要な研究対象であり、自分のような一般市民にもなぞめいたところが魅力的な存在であった。

 では、『年中行事覚書』で柳田国男は「山の神」について何を示めそうとしているのだろうか?


はじめに「霜月粥」の段で著者は確定的事実を書き出す。

田の神が春は山から降りて田を守り、冬に入ってから、再び山に登って山の神になるということは、もう本当にそうだと思わない人までが、全国にわたって今でも皆記憶している。

中部地方でも岐阜県は一般に、霜月七日かまたは寅とらの日を以て、山の神の出入りの日とし、慎しみ深い祭をしている。この日を山の講こうというので、ちょっと見ると農事に関係がないように取れるが、これに参与する者は主として農民であった。

 農事にかかわる常民の行事として山の神は里に舞い降り、また、寒い季節には山にお戻りになるのをお送りするのだ。
 山民だけではなく、里の民にとっても大切な存在であり、これは柳田的には祖霊と同一なもののようだ。
この霊的なものの山と里と海の往還(海と里は折口信夫のマレビト論の範囲になる)は、生態学的には「水」の循環に相当する。
 日本の自然は春夏秋冬で寒暖と乾湿が入れ替わり、それに応じて生きものたちも活動する。農民は雪解け水の豊潤さは森に由来すると体得していただろう。河川から流れ出る栄養素により海藻や魚貝は繁殖していることを漁民たちは経験していたろう。
 この霊的なもののサーキュレーションは国土に生きるものすべて営みを支えるものだと言い切ってもよいだろう。
 年中行事はそうした循環の豊穣さへの祈念であり感謝の祭りごとだと表現してみてもいいだろう。生を支えるものが聖なるものであった。

 そして山の神の意外なイメージを焼き付ける一文が著書の中ほどに出現する。

信州の犀川流域などは一般に、物の高低長短があることを山の神といい、その根本には山の神が片足神であるという俗信がまだ残っているらしい。現在は片足神がすでにちんばとなり、それ故にまたこの日の膳に長短の箸を上げ、さらに長いものをもう一本、杖つえとして添えるのだなどといっている処も方々にあるようだが、最初はただ我々の山の神が一本足で山を降り昇りせられるものと、単純に信じ得た時代もあったのだが、追々とそんな事は信じにくく、古い話を少しずつ改造しなければならぬようになったのではあるまいか。私などの聴いているだけでも、今でも山中にそうした形をした霊物が住むという話が怪談のようになって各地に保存せられている。

 人々は山の神は片足の神であると信じていたのだ。
その例証の一つに哀切なる民話を付け加えるのを柳田は忘れない。

昔々至って貧しい老女の家に、この晩大師が来て一泊を求められた。何一つまいらせる物のないのを悲しんで、夜ふけにそっと出て隣の稲の一把を盗み、または一本の大根を畠から抜いて来た。ところがこの婆は足が片輪で、指が一本もないので足跡ですぐ発覚する。それがふびんと雪を降らせたのがお大師様であった。その因縁に基づいて、今もこの晩はきっと雪が降り、それをスリコギ隠しとも、デンボ隠しの雪とも土地の人は名づけているという。

 弘法大師の事跡は片目片足片手に関わる伝承が多い。これもまた、山の神と重ね合わせで全国に伝わっている山の神信仰との連係現象なのだろう。

 天龍川上流の村のカガシアゲは、見には行かぬが、私はその写真を貰って持っている。屋敷の一隅の静かな処、たとえば土蔵の蔭などに、田から迎えて来たソメを立てて、片手に熊手を、他の片手には箒ほうきを突かせて、その日の祝いの食物を供えて丁寧な祭をする。そうしてまたこれを山の神でもあるように考えているらしい。


 この本を書いた時期は柳田は語彙収集にも余念がなかった。「オコナイ」の方言の差異もなにか柳田の喉にひっかかる小骨であったのだろう。

奈良県では吉野郡野迫川のせがわ村北今西の不動さんで、これも旧正月にオコナイが行われたが、これは村人が源平に分れて綱曳ひきの勝負をする式であった。大阪府では泉南西葛城かずらぎ村が近江甲賀と同じく、正月八日の山の神祭をオコナイといっているが、その日山から伐って来る木を、やはり寺風に牛王杖ごおうづえと呼んでいる。京都府でも小塩山十輪寺の正月十四日のオコナエというのが、他の地方にもよくある道祖神社の祭であった。京都民俗志によれば、もとは村民中三人の長男十六歳以上の者、麻上下かみしもを着て寺に参り、この社に出て式を行ったという。


 山の神との係累で「山の神婆」が出る一段がある。我らはやまんば=山姥と初めて出くわす。

最も普通のものとしては春と秋との山の神の日に、山に入ってはならぬのに入った者の制裁がある。これには怪我けがをした病気になったというものが一方には多いと共に、他の一方には山の神が木を算かぞえておられる処に行き合わせて、算え込まれてしまって木になるという話が伝わり、もちろんこれにはまだ一つも実際の証拠がない。岐阜県の東濃地方などは、山のコの日というのが二月七日と十一月の初寅はつとらの日とで、よほどここにいう事八日と近いのだが、ここではその禁を犯すと山の神婆という老女に逢うことがあると伝えている。