2014-11-01から1ヶ月間の記事一覧

司馬遼太郎も過つ

弘法も筆の誤りではないが、司馬遼太郎もその膨大な著作や講演録で過ちをおかしている。 例えば、1994年の自衛隊での講演『ノモンハン事件に見た日本陸軍の落日』では ノルマンディーの連合軍上陸地点をロンメルが見過ごしていたと語っているが、実はロ…

幕末の神道思想家 鈴木重胤

『古事記伝』の本居宣長の影に隠れているが、その業績に比較されるべき「日本書紀」の研究を行ったのが鈴木重胤であった。折口信夫はその影響を大きく受けている。 折口信夫の評価を聞こう。『神道に現れた民族論理』ではこう評価している。 鈴木重胤などは…

故 藤森栄一氏の旧宅

長野の考古学を高みの導いた藤森栄一氏はこのあたりにお住まいがあった。 ここはJR上諏訪駅から近い。 国道20号線から一本奥に入った場所だ。今は誰が住んでおられるかわからないが、瀟洒な住宅がある。 終生在野の学者であった氏は、諏訪中学卒以来、諏訪を…

 大和の古墳の古代ローマ帝国製ガラス皿

11月14日付のNews「奈良で出土の皿、ローマ帝国から? 化学組成ほぼ一致」が古代史ファンの注目を集めている。 奈良県橿原市の新沢千塚古墳から出土のガラス皿がローマ帝国製のガラスの化学組成と一致したのだ。 これは、稀有な遺物であるが、突然に湧きでた…

豊国大明神の誕生

豊臣秀吉が死後、豊国大明神となったが、それは前例のない出来事と史家がいう。 徳川家康もそれを真似てか、死後東照大権現として神に祀られる。 実はイエズス会の諜報網は秀吉の死が公表される前に、「新八幡」として祀られることを策動していたとローマに…

石神信仰から石合戦へ

柳田国男と関係者の往復書簡集の『石神問答』はたびたび取り上げたが、その主要な問答相手の山中共古は、クリスチャンにして旧幕臣でありながら、山梨県の民俗の研究に余生を捧げた。 山梨県にあってその影響下にあったのが、中沢厚である。中沢厚は『つぶて…

縄文信仰に連なる書物の連鎖

藤森栄一は長野考古学の父というべきヒトであるが、『信濃の美鈴』と『縄文の八ヶ岳』で縄文後期の特異な土器を検討した。 この奇怪な精神的な造形を縄文末期の複雑な時代背景にあると藤森栄一は論じている。 その50年前に柳田国男が『石神考』を思想界に投…

女のすなる紀行文

イザベラ・バードの『日本奥地紀行』や『朝鮮紀行』が静かなブームのようだ。確かに、19世紀に世界を股にかけて旅行したイギリス人女性の胆力や観察力にはおどろくべきものがある。 そうは言いつつ、日本のほうが女性の紀行文の歴史は古いのは間違いないだ…

われらの内なる古代人

鶴見和子が柳田国男の評論で「われらのうちなる原始人」と指摘した。レヴィ・ストロースの「われらの外なる未開人」の対比で彼女がもちだしたのだ。 柳田民俗学のひとつの特徴を言い当てている。柳田の常民は、しかし、「原始人」というより「温順な中世人」…

鎌倉御霊神社の奇祭 非人面行列

御霊神社の例祭(9月18日)のメンイベント。 面掛け行列の内訳は、鬼や異形、烏天狗、爺などの非人の仮面だ。それら10面が10人となり、町中をねり歩く。 中世都市鎌倉ならではのお祭である。 中世の神人たちの放生会の行列のなごりというが、すぐれて…