女のすなる紀行文

 イザベラ・バードの『日本奥地紀行』や『朝鮮紀行』が静かなブームのようだ。確かに、19世紀に世界を股にかけて旅行したイギリス人女性の胆力や観察力にはおどろくべきものがある。
 そうは言いつつ、日本のほうが女性の紀行文の歴史は古いのは間違いないだろう。

 11世紀の『更級日記』にはうら若き女性の作者が上総から京に上る、その日々の経験が記録されている。菅原孝標女と伝わるこの作者こそ、女流旅行記の祖先にあたるかもしれない。
 自分の知るかぎりでは、ギリシア・ローマ時代の閨秀作家はたかだか詩人であり、女性の紀行文は西洋では中世以降なのだろう。一方の東洋では、中国の長い歴史でも11世紀に旅行記録を残した女性はいないのではないだろうか?

 完全な紀行文という意味では、鎌倉時代の阿仏尼を待たねばなるまい。『十六夜記(いざよいにっき)』は京都から鎌倉まで訴訟のための旅行をする、その記録である。1280年くらいの作とされる。
 13世紀に女性の紀行文というのは、他に比較できる記録があるだろうか?
また、『とはずがたり』も虚構性が強いが後半に遍歴編があり、関東や西国の巡礼を行う記載がある。全5巻もので前半の愛欲と流転の人生は一種衝撃的な内容で、多くの人に本当の話かどうかを疑わしめる内容であった。4巻以降は世を捨て伊勢神宮熱田神宮など巡礼のことどもが記され、社寺をめぐり写経を始めるのだ。
 ちなみにwikiによれば、『とはずがたり』はブルガリアで1981年にベストセラー本の一つとなったそうな。800年前の女性のセキララな内面の記録ということで稀有の書物と東欧人には受け取られたのであろう。
 思うに、先行した文化国であった中国や朝鮮にはこうした女流文学は残存していないという一点をとっても、かなり大陸系の文明とは大きな懸絶があると思う。
 史的にみてもそれはユニークだ。
 例えば、網野善彦は中世以降、女性の旅行は比較的自由だったのではないかと論じている。戦国時代後半に来日したルイス・フロイスも同様な指摘をしているのだ。

 そして、どうやら日本は江戸時代を通じて女性旅行がかなり行われていたという。
この時代の研究家の柴桂子は十六点ほど女性の旅日記を発見しているという。
欧米では19世紀になっても女の一人旅はそれほど自由ではなかった。江戸時代の女性は勝手気ままというほどではないが、お伊勢参りなど旅ができないわけではなかったのだ。

江戸の旅文化 (岩波新書)

江戸の旅文化 (岩波新書)