藤森栄一は長野考古学の父というべきヒトであるが、『信濃の美鈴』と『縄文の八ヶ岳』で縄文後期の特異な土器を検討した。
この奇怪な精神的な造形を縄文末期の複雑な時代背景にあると藤森栄一は論じている。
その50年前に柳田国男が『石神考』を思想界に投じて以来の波紋だと考える。
「縄文の大地母神」が2000年の眠りから目覚めたというべきか。
この『石神考』は中部地方に横たわる古層の信仰を掘り起こした。そこで、諏訪神社がどのようにしてか古代の精神地層を脈々と現代まで伝えていることが近代人にも見えてきた。
御柱祭とは何か?
石神とは?
佐久という地名は?
立石とは?
ストーンサークルとの関係は?
オシャモジと石神との関係は?
山中共古は柳田国男が『石神考』を書いた問答の相手であるが、彼の弟子筋が山梨の中沢一族になるのも見逃せないかもしれない。中沢厚は『礫(つぶて)』という石の民俗を研究することになる。
そして、『縄文のメドウーサ』の田中基である。彼は意識的に縄文ランプの蛇神に注目して、小さなコミュニティでシャーマニックな祭儀が連綿と行われていたとする。