河童の起源 皿の由来はどこに

 河童は江戸時代に国民的な妖怪になって、そのイメージも庶民に定着したとされる。

今でも、時々、目撃談があるがほぼ絶滅した妖怪だろう。心のどこかに潜んでいるので再び登場することもあるだろうけど。

 河童の正体については諸説あるけれど、かわうそやすっぽんのような実在の動物に結び付ける説が有力である。

それはそれとして、反論はできないだろう。江戸時代にいくつかの要素が「折衷」されて、河童のイメージになったのだろうから。

 相撲を取るとか、美人ときゅうりが好きだとか、尻子玉を抜くみたいな言い伝えはそれぞれ民俗的にもとをたどることが可能だろう。

 しかし、なんといっても頭の皿が気になるのだ。なぜ、そこが水をたたえた皿になっていて、水がなくなると力が失せるのだろう?

河童との相撲で勝つ方法は「河童にも逆立ちや、とんぽ返りをさせるとよい。河窟の頭の皿にあった水がこぽれてしまい、力が抜けるからである」

 こんなアホな妖怪、ほかにいるのだろうか?

この特徴はどこからやってきたのだろうか? それを探ってみたい。

まず、頭の鉢モデルの生物はいないということから、確認しておこう。猿もカワウソも頭に毛の生えていない部分はない。老いぼれたカワウソならハゲもしようが、それでも水をたたえるようなもではない。

 河童の皿は人の空想上の産物が影響を与えたと主張しておこう。

 大陸からくるならば、それは中国であろう。 妖怪の本籍証明のような『山海経』にはありとあらゆる異形が描かれている。魑魅魍魎の世界なのだが、我が河童に比定されるような素っ頓狂な怪物は登記されていない。

 あの中国の大小説『西遊記』の沙悟浄 - Wikipediaは河童の一族だという説がある。

 しかし、その特徴をWikiから抜き出してみると頭について「紅い炎のような色の毛で、ふわふわの髪(ただし三蔵に弟子入りするときに髪を剃った)」とあるだけで、皿についての描写は原作にないようだ。深砂大王が原型であるらしく、陶器に水を入れるようなツッコミどころが無い神様なのだ。

 中野美代子の論説にも河童の姿は見えなかった。やはり、頭の皿に関しては、国内で自然発生したとみるべきなのだろう。

 自分の仮説は江戸期に掘り出された古代の一部の土偶が河童の皿のトリガーという主張。中部で掘り出された土偶の珍しい姿は、江戸の文人たちの注意を惹いていた。

頭の鉢が凹んでいる河童は中村禎里の説によれば1,780年頃から現れるそうだ。

ネリー・ナウマンたちがきわめて特別に分析した長野県を中心に出土する土偶を指す。その鉢をもつ土偶は特別な意味を持つと彼らは主張しているのも傍証だ。

彼女が『生の緒』で例示している土偶像を示しておこう。

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 長野県勝内遺跡で出土した土偶だ。頭の鉢があり、そこに載せているのは蛇だという。古来巫女と蛇は深いかかわりがあり、憑依状態で蛇と一体となるか、あるいは蛇により憑依されるという事例は世界中にある。 

  縄文期の信仰が河童の形象になったわけではなく、江戸時代の人びとがこうした出土品に触れて河童のイメージに重ね合わせた可能性を指摘したい。ほかにも頭頂部にくぼみを持つ土偶はいくつも知られている。

 

 

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