窮屈な現代人の精神世界

 万学の祖アリストテレスが明言してくれているように、人は観照するためにある。それ以外の行動や思考は、多かれ少なかれ他の生物、動物が行っている。人と生まれたからには、テオーリアを究めることが、その最高な本性の活かした方だ。

 当時の地中海の動物についての実際的な研究をふまえて、しかも、当代一流のプラトン学園に集積されたギリシア哲学の研鑽をふまえての、哲学者の発言は重みがある。

 

 現代人は、それ以来の「巨人」の肩のうえに便乗するかたちで、その自然界にける地位を謳歌しているようだ。

 でも、その精神世界はアリストテレスがそう願ったものとは、違う。

 情報社会のありように馴染んだその精神は、商品や娯楽や衣食住やマネー、健康、日々移り変わる社会問題など種々雑多なものに占有されている。

 それって、勿体なくないだろうか?