君よ、知るや美弥良久(ミミラク)の島を

 『蜻蛉日記』にわずかに言及される死者に会える最果ての地美弥良久(ミミラク)は現在の五島列島南端,福江島の三井楽(みいらく)の地に比定される。

いつことかをとにのみきくみゝくらのしまかくれにし人をたつねん

 と道綱の母(九二七―九九五)の日記にある。このような幻想を抱けた人びとが羨ましくもある。
 不幸な現代人には懐かしき故人と再会を果たせるような土地はもはやいずこにもない。

 なぜか平安時代には遣唐使の別離の場所の記憶の残像が、死者と生者をつかの間邂逅させる伝説に変容したのだろうか。
 「ミミラク」と韻が通じる熊野の補陀洛(ホダラク)山は死の国熊野と浄土信仰が重ね合わされ、洋上遥かウナサカの彼方に理想の仏国土があると幻想された。
ラク」という軽やかな音韻が、美弥良久(ミミラク)を死者の赴く幻想のトポスに変容させたのであろうか?
 一種のコトダマ共通感覚?

 そして、実際の補陀洛山はチベットの首都にあるポタラ宮でもある。ここは荘厳な佇まいのダライ・ラマの宮殿寺院である。西蔵とも呼ばれた、極楽浄土に近い場所。
 ポラタとは補陀洛と同根なのだ。すなわち、観音菩薩の住処である「補陀落」の聖地がチベットの中心であるというのも深い歴史的共振を感じさせる。