イスラーム圏が戦前の大日本帝国へ寄せたシンパシー

第二次世界大戦、その一連の戦争のなかでもとくに太平洋戦争は帝国主義戦争であると同時に人種戦争でもあった。これは確実な特徴であるといってよい。
 当時の日本は本当の敵であったはずのソ連ではなく、アメリカに戦争を仕掛けたのか。ほとんど勝ち目のないことを知りながら連合国に打ち掛かったのは、資源上の窮乏化もさることながら、西洋帝国主義の覇権に対して大きな反発もあったからだ。
 それは民間にも大いにあった。当時の文人たちは真珠湾攻撃の報を開放感とともに受けとった。馬鹿な軍部や為政者たちと同時に多くの国民も西洋列強には大いなるアンチ感情を持っていたのは、歴史的事実であろう。
 その代弁者が大川周明などの大アジア主義者だった。彼が心を寄せたのは、まずは大英帝国の統治下のインド人民であった。そして、対戦勃発前より連帯を模索したのがイスラームネットワークであった。
 現に多くのアジアの独立の志士たちが日本を訪れているのだ。それを積極的に支援した日本人もいたのだ。

 日露戦争の頃から中央アジアイスラーム教徒たちはロシアに対する有色人種の勝利に熱狂していたという。
 20世紀のはじめに中央アジアを旅したベルという英国人がレポートしている。
「日本人は不屈の勇気を世界に示したが、ドルーズもまた、勇猛だ。日本人
は常勝しているが、預言にいわれるドルーズも敗れることはない。だから両者は同一なのだという。シリアであれ小アジアであれ、すべての人が日本側に共感を抱いている。唯一の例外は、ロシアを保護者と見るギリシア正教会に属する人たちである」(ベル)

 ほぼ同時代にエジプト人のムスタファー・カーミルは自民族の独立への期待をこめて日本の天皇制をモデルにせよと宣言した。

「かれらは、いかにしてわずかの年月にこのような高みに達し、ある部分では西洋と肩を並べ、ある部分では西洋を追い越すまでになったのか。
また夜を徹してこの民族のために力を尽くし、刻苦精励してその地位を高め、「わが国は、他国がいまだかって獲得したことのないものを最も短期間に獲得せねばならぬ」と言ってのけた、かの偉大な人物とは何者なのか」

 山内昌之はこう要約する。

自分の店先とは関わりのない遠くの地方で勝利を収める日本という国の噂、荷駄よりも豊富な白色人種ロシアの敗北の情報を積んで町から町へ移動する行商たちの話は、衛星放送やインターネットのない時代において第一級のニュースであった。イスラーム世界は、日露戦争の推移に商いの種や政治的な言説を見出しながら、英仏はじめヨーロッパの国も佃野敵ではないと自信を深めたのである。

 この風潮、大日本帝国の台頭への共感は西洋列強に蹂躙されたイスラーム圏内でことの他強かったのだというのは覚えておいた方がよい。
 太平洋戦争は西洋列強が植民地化したアジアの諸民族による反撃の契機となった。日本はアメリカから原子爆弾投下という有色人種への懲罰&膺懲を受け敗北した。
 だが、日本の敗戦がもたらした一つの成果とは、アジア人の覚醒にあったと言える。

 軍国主義の敗北という側面だけで太平洋戦争、いや大東亜戦争を語るのは単眼的である。
 当時の日本人たちはみんながみんな他国の利権の簒奪や大和民族の優越感だけであの戦争を正当化したわけではない。
 自分たちの正義や理想を求めて戦った人びともいたのは忘れてなるまい。また、イブラヒムやスカルノやボースなど一部のアジアの有志たちはその助力を多としたのだ。


【参考文献】

帝国と国民

帝国と国民

アジア再興 帝国主義に挑んだ志士たち

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大東亜共栄圏 帝国日本の南方体験 (講談社選書メチエ)

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人種戦争――レイス・ウォー――太平洋戦争 もう一つの真実

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