特攻精神から自爆テロへの道行き

 ある戦記もの作家の体験談がある。
 太平洋戦争末期近く、岐阜のはずれに住んでいた作家の郷里の真上をB29の大編隊が爆撃のために名古屋方面に向かうのを、まだ子どもであった作家と村人たちは恐れと慄きをいだきながら見上げた。
 その時、一機の日本の戦闘機(多分、ゼロ戦)が現れ、ただ一筋の光をえがいて、大編隊の一機に体当たりをしたのだという。
 爆雲が炸裂しヒラヒラと金属片が舞った。村の大人も子どもも泣いたという。

 もはや、勝ち目がない帝国は特攻という非人道的攻撃手段を採用した。もともと、勝つための戦略も停戦の目標も持ち合わせていなかった政治家と軍人がとりえる非合理的な戦術だったのだろう。
 語るに落ちた無能な人びとを指導者にした帰結であっただろう。
そうはいっても一般市民の立場からすると必死覚悟の「特攻」隊員は英雄的であった。
 自分もそれは首肯する。
 さればこそ、東洋史家の泰斗である宮崎市定も「非白人たる日本人が、すでに世界制覇をした「金持ちクラブ」である白人国家に、その国際的地位を認めさせるのは並々ならぬ努力が必要であった」と慨嘆している。
 特攻は欧米人たちに脅威を抱かせる抵抗であったのだ。その御蔭をもって日本人の今があるといっていいだろう。

 ところで、21世紀にも継続している自爆テロは、その手段において特攻に通じるものがある点は指摘しておいても無駄ではないだろう。
 もちろん、無抵抗な一般市民を標的にする卑劣極まりない邪悪さは、しばし、無視してもらうことになる。特攻は軍事的な脅威に対する軍事的な手段であったので、比較することは特攻隊員に対する非礼となろう。
 そこは、重々承知のうえで、特攻精神と自爆テロが圧倒的な敵勢力に対して立ち向かう極限の対抗手段である点では似ていることを留意しておきたい。
 それを成り立たしめる彼岸感覚も類似だ。自爆テロの実行者はその代償にパラダイスに直行できるのだ。
 狂信者と先進国市民がみなすテロリストは、その狂信者の属する集団からは、冒頭の逸話ににて、感涙にむせぶ人たちがいるのであろう。
 そのくらいの想像力をもって語らないと自爆テロリストたちを理解できない。
 軍国主義の日本人のメンタリティがテロリスト集団に同じものであると言いたいのではない。しかしながら、全民族が挙げて危険な方向に行動しようとして点では共通性がないとも言い切れないのだ。

 ついでながら、イスラムの過激な暴力行為には日本赤軍のテロ思想が影響しているとは有名な話だ。日本赤軍の市民巻ぞえ暴力イデオロギーには、特攻精神が影響していないと誰が断言できるだろう?


【参考資料】

死へのイデオロギー―日本赤軍派― (岩波現代文庫―社会)

死へのイデオロギー―日本赤軍派― (岩波現代文庫―社会)

 日本赤軍のテルアビブ空港乱射事件がパレスチナの反イスラエル運動に与えた影響がここに断片的に出ている

ランド 世界を支配した研究所 (文春文庫)

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