戦中派の見たるエヴァンゲリオンの特攻魂

 戦中派の心持ちになって『新世紀エヴァンゲリオン』を見てみると、戦争末期の学徒動員と特攻隊の姿が二重写しになる。といって、自分は戦後生まれなんだけど。

 何が似ているかというと、エヴァの初号機をはじめ、どのエヴァの開発機も戦闘能能力が不安定で未完成品に近い感じ。アンビリカルケーブルから外れたら、活動限界が5分なんて、特攻機(桜花など)が片道切符で飛ぶのとそっくり。*1
 資質がある学徒を動員しているのも似ている。サードチルドレンとかいっているが、未成年者もいいところだ。けれど訓練が不十分なまま戦闘に引きずり込まれるのだ。
 碇シンジの叫びは学徒の残した「きけわだつみのこえ」だ。まるで。

 年代からいえば、ヒットラーユーゲントがライン川防衛に駆り出されたのと同じではないかな。
いずれにせよ、十代の青少年が「絶対防衛圏」である国内で圧倒的パワーの「使徒」と肉弾特攻を繰広げるのだ。しかも相手はATフィールドとかいう防御力抜群であり、こちらは爆弾三勇士みたいに武器を担いで切り込んで、その弾幕を突破せにゃならん。
 まさに、絶対防衛圏で繰広げられたB29爆撃機(空飛ぶ要塞)に対する特攻戦そのものじゃないかと目を覆いたくのだ。
 彼らの乗ったゼロ戦ははるか高空を飛ぶ敵機に肉薄するために、機銃も防弾ゴムも削って軽量化しなければならなかった。そうやってようやくと離陸し、飛翔してようやく体当たりを果たせたのだ。

 指揮命令系統も同じだ。
 碇司令は絶対服従を要求し、逆らえば人格を否定して見捨てるところなんて、軍国主義時代精神を体現している。碇ゲンドウのモデルは宇垣纏に比定されるのだ。

 ある意味、『新世紀エヴァンゲリオン』で繰り返される、壮絶で無意味な死闘は大日本帝国のそれを思わせるし、戦後生まれが捧げた犠牲者たちへの挽歌なんだと断言してみたい。



【参考文献】

B-29対日本空軍 死闘の本土上空 (文春文庫)

B-29対日本空軍 死闘の本土上空 (文春文庫)

海軍局地戦闘機―本土上空を死守せよ!

海軍局地戦闘機―本土上空を死守せよ!

*1:アンビリカルケーブルってへその緒(アンビリカルコード)が語源とされる