神話学者のジョーゼフ・キャンベルのこと

 アメリカの代表的神話学者であったジョーゼフ・キャンベルが亡くなったのは1987年。
 早いもので、もう、30年も昔のことになった。
 キャンベルは一般には『スター・ウォーズ』の原点であるオリジナル・トリロジーに大きな影響を与えた人物として、ジョージ・ルーカスの「マスター」の一人として知られる。ルーカスの基地兼豪邸である、スカイウォーカーランチにも招待されている。余談だが、初期三部作以降のSW作品は原初性みたいなものは喪失してゆくようだ。
 また、エラノス会議の参加者の一人でもあった。エラノスの宗教学の巨頭というとエリアーデかキャンベルか、ケレーニイかだ。
 いずれにせよ、彼の死後、賢者の風格をもって世界の様々な神話の価値を語りかけてくれる人物は消え去った。
 TVシリーズにもなった最晩年の『神話の力』はビル・モイヤーとの対話ベースでありながら、多くの人に受け入れられた。書籍もベストセラーとなった。

 それはともかく、キャンベルはアメリ東海岸アイビーリーグの環境で育ちながら、キリスト教一辺倒の考え方とは若い頃にはやくも見切りをつけた。もとはカソリック教徒であった。
 あのマルチン・ブーバーの自己中心的姿勢にもイチャモンをつけるくらいだ。ブーバーはユダヤ神秘主義の大家だったが、インドの宗教思想には一顧だにしようともしなかったからだ。
 かと言って、あるインド人の非歴史的な狭隘さを皮肉った逸話を披露してもいる。。
 世界の神話的思考の多様さ、深層での普遍性というものをキャンベルは追求し続けたのだ。なもので、アメリカ・インディアンであろうがブッシュマンであろうがアーミッシュでもアボリジニでも、それらの神話的真理のあり方をひとしなみに尊重し、その隠された至高の価値を「いわゆる文明国の」アメリカ人に饒舌に快活に雄弁に伝道していたのだろう。

 そのなかでも、東洋の独自な伝統を持つ日本的霊性のあり方にも一方ならぬ思い入れを持っていた。
かのマルチン・ブーバーには敬意を払わずに鈴木大拙には「師」づけて尊敬の念を表している。
「禅」はインドで生まれ、中国で育ち、日本で花開いた。つまり、極東から西洋社会に普及していった。大拙は日本だけを褒めることなく、インドと中国の価値を含めて大乗仏教の思想を説いている、其の点にキャンベルは高い評価をしたに相違ないだろう。

 旧約聖書の神よりはブッダの説いた教えにより共感していたのは確かだ。
例えば、彼が下のように主張する時にそれは確証される。

仏教的な考え方によれば、私達を楽園から遠ざけるものは神の嫉妬や怒りではなく、自分たちが本能的にもっている生への執着です

 それは「世界で最も重要な仏教の中心地のひとつは、日本の奈良です」という紹介文のあとに続く。
 彼がそう主張したのは1972年だった。奈良の大仏=大毘盧遮那仏はすべての人びとが救済される能力があると説く華厳経の具現なのだということを念頭に置いて、日本が観光化される以前の時代にアメリカ人に向けて伝えているのだ。
 専門用語を使わずにシンボリックに解説するのが彼のスタイルだった。
 日本庭園の素晴らしさをベストセラー『神話の力』の冒頭に置いている。キャンベルが当時の日本に見出したのは公害と経済成長のおもて向きの姿ではない。そこここにある日本庭園の精神性だった。
 自然と人為の境目がないことが彼の一番の言いたいことだった。禅でいう無境界が庭園様式に連なっているとキャンベルは看取していたのであろう。
 神道の無主張、無定形さにもキャンベルは注目している。「神道とはなにか」と問われて、「私たちは踊るのです」という一神主の答えを感慨深く、コメントなしに報告しているのだ。


【参考文献】

 英雄の成長と帰還をモデル化した主著の一つ。ルーク・スカイウォーカーの運命はそれをなぞっている。

千の顔をもつ英雄〔新訳版〕上 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

千の顔をもつ英雄〔新訳版〕上 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

千の顔をもつ英雄〔新訳版〕下 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

千の顔をもつ英雄〔新訳版〕下 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)


 ブーバーとの関係や仏教の評価は初期の作品である本書にすでに出ている。蛇の扱いも旧約聖書アーガマとでは180度違うのだ。でも、知恵と蛇との関係は共通であることにキャンベルは注目する。

生きるよすがとしての神話 (角川ソフィア文庫)

生きるよすがとしての神話 (角川ソフィア文庫)

 最晩年の著書。後世へのメッセージだ。

神話の力 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

神話の力 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)