なぜ、神風特攻隊が可能だったのか?

 YouTubeではWW2のドキュメンタリーが手軽に見れる。各国市民の反応も手に取るように読める。自分にとって関心があるのは太平洋戦争末期における戦闘機による決死の特攻攻撃だ。その善悪は兎も角、涙なくしては見れないものがある。
 ああ、それにしても神風特攻隊のような前近代的かつ反文明的な集団行動を日本人がとったのはなぜか?

 「撃ちてしやまん」「敷島の大和魂」「散華」「武士道は死ぬことと見つけたり」「死中に活を求める」など明治以前からの死生観を表す言説は無数にあったようだ。
 しかし、それは一部の武士階級、それも吉田松陰平田国学陽明学などに従う志士的な人々のマニフェストであったにとどまる。だいたい、切腹などの特殊行為は農民や町民には無関係であったし、ましてや欧化政策として封建主義を抜け出すための義務教育と近代的な徴兵制度あるいは国民皆兵主義のもとで、自死を強要するなどという制度は明治の元勲たちは思いもよらなかったのではないか?
 悪しき先例としては乃木将軍夫妻の殉死などがあるにせよ、それは失意の皇軍の将軍ならでは行為だろう。

 結果論として、神風特攻隊は世界的なkamikaze attackという悪名高い「攻撃イノベーション」を引き起した。
 絶望者たちの窮鼠猫を噛む行為としてkamikaze attackはいろいろなバリエーションを生み出したのだ。
 そのためのマニュアルとして「死後の救済」というイデオロギー的教育と自殺的な爆弾攻撃の組み合わせが定着したわけだ。
 おそらくは、良くも悪くも、これは日本発だろう。その前に、零戦という近代兵器を駆使して、反近代的な行為に及んだ、その訳を知りたいのだ。

 とにかく、文明開化以降の四民平等の近代国家では、生きて虜囚の辱めを受けず的な武士道精神は霧消したはずだった。
 そうは言っても、特攻攻撃によって死に殉じた学徒たちは英霊として祀られることを救いとしていたのであろうか?
『きけ、わだつみのこえ』などからすれば、高等教育を受けた若者はそれを信じきれないままであったような気がする。国家に殉じたというよりは、銃後の家族親族同朋のために覚悟を決めたのではないだろうか?
 
 太平洋戦争で学徒出陣以降、特攻攻撃がこうした自殺的冒険主義が起きるのはどうしてなのだろう?
大西瀧治郎が特攻隊の創設者として有名だ。彼は『特攻は「統率の外道」』で『体当たり攻撃をして大きな効果、戦果を確信して死ぬことができる特攻は大愛、大慈悲である』と考えていたとされる。
大慈悲」の使い方は180度間違っているにせよ、ここに一抹の救済思想が流れているのは注目に値する。
 「桜花」に名を借りて、近代兵器を抱えて潔く散るなどという行為が、生み出されたのは、やはり、
尊王攘夷思想と草木悉皆成仏とを折衷した軍部の反理性的暴走によるものではなかったか。

 戦後の灰燼のなかで『堕落論』によって居直りを図った坂口安吾の言を『特攻隊に捧ぐ』に聞こう。

青年諸君よ、この戦争は馬鹿ばかげた茶番にすぎず、そして戦争は永遠に呪うべきものであるが、かつて諸氏の胸に宿った「愛国殉国の情熱」が決して間違ったものではないことに最大の自信を持って欲しい。

 大西瀧治郎の発言と同様に、坂口安吾の表明はこれでひたむきな感情の表現であっても、「特攻隊の精神」の源を語るものではない。

 神風特攻隊の発想と行為の源を分析しておかないと同じ悲劇を繰り返すことになるのではないか。



【参考映像】
 戦争中のUS NAVYのニュース動画への海外からのコメントは特攻隊側にも一定の理解を示している。