日本人の集団的シンクロニシティ

 「集団的シンクロニシティ」で論じたいのは、日本人のある特徴だ。仮に「集団的シンクロニシティ」と呼んでおこう。
 事例を示す。
 YouTubeで拡散している和太鼓の壮大な大人数によるプレイ動画がある。
下の(1)の「This is a Japanese drum line! 」がそれだ。
 和太鼓の恐るべき規模の集団的な同期行動だ。
 もう一つの事例は京都橘高校のマーチングバンドの集合行動の動画だ。
下の(2)の「Kyoto Tachibana High School Green Band - 2018 Pasadena Bandfest」マーチングバンドというアメリカ由来のパフォーマンスを本歌取りして拡張している。
 両者のパフォーマンスは世界中の人々の高評価を勝ち得ているといっていいだろう。

 三番目はもっと当たり前の動画だ。(3)「School Lunch in Japan 」で、一小学校の給食シーンを紹介したものだ。2000万viewsなのだが、米国人たちのコメントが興味深い。

 その特徴を振り返っておこう。
 専門の奏者やプレイヤーではない若者たちがこの調和のとれた集団行動を演じている。大学生や高校生たちが、短期促成栽培というと表現が悪いが、そうした十代後半の若者たちが海の向こうの人々を驚かせている。「awesome!」とほとんど震撼させているいるのだ。

 まず、指揮者なしのマスプレイであることだ。どうやって協調的な演奏や動作ができるのであろう?
それを生み出す手段は練習また練習だけではないだろう。よほどのトレーニングのスキルと経験がなければ実現できないはずだ。
 それを知る人たちのコメントが動画にあふれている。
 また、他の民族や国民でここまで統率のとれた素人の若者たちのパフォーマンスはないであろうということもうかがい知れる。ギネス記録好きの国民性というのも思い合わされる。
 今どきのコロナ対策で日本の行動は海外諸国、WHOなどから高い評価を得ているが、強力なリーダーシップなしに協調行動をとれる。同調圧力とも揶揄されるが、いい面もあるわけだ。

 それと片や「和太鼓」という伝統芸能文化であり、片やブラスバンド行進というアメリカ由来の文化であることだ。つまり、両方とも似て非なるオリジンなのに関わらず、若者たちにより維持されているということだ。これもある程度自律的に維持されているのだが、その社会メカニズムを暗示しているのが、(3)「School Lunch in Japan 」の学校給食の仕組みだ。
 子供たちは知らず知らずのうちに役割分担と協調作業を義務教育で仕込まれているように思える。

 さて、皮肉屋の視点から発言してみよう。分析の一助になるからだ。
皮肉屋はこうした集団的シンクロニシティ行動を「ロボット」のようだというだろう。あるいは太平洋戦争の若者たちのkamikaze attackとの類似性を示唆するかもしれない。
 日本人は同質的であり、すぐさま行動と思考が同期同調して個性がないからこそ、こんなパフォーマンスを素人が生み出せるんだと揶揄するだろう。
 なにか異論があるだろうか?
 民度が高いとか他国から言われるその同じ性質がロボット的とか集団的狂気に落ち込むとか言われるのは心外だろうが、有効な反論はできるだろうか?

 何世紀もの閉じた地理的環境での文化的攪拌がこのような特徴を生み出したのかもしれないが、よくも悪しくもなり得る、不思議な民族性であるのは確からしい。



(1)This is a Japanese drum line!


(2)Kyoto Tachibana High School Green Band - 2018 Pasadena Bandfest


(3)School Lunch in Japan

 特色のあるコメントを引用しておこう。

Rest of the world should learn from Japan... How they are disciplined...

This video makes western schools and education system look like zoos