神道が平和的なんて誰が言った?

 最近の論評で「一神教が好戦的で多神教が平和的」なる言説が徘徊しているようだ。
一神教イスラムを念頭におくかどうかは文脈によるけれど、「多神教が平和的」というのは我が固有の神道を指してのことであろう。

 これは全体として歴史的事実と背反する。多神教の好戦国家の例はゴロゴロしている。
 古代ローマ帝国は好戦的な都市国家として出発している。イタリア半島だけでも多くの都市国家が滅ぼされている。その祭殿がパンテオン(万神殿)というだけに多神教であったのは誰も否定はしない。
もっとも一神教キリスト教支配になってから平和主義的になった様子は見えない。
 コンスタンティヌス大帝がキリスト教に帰依して後、その死後は跡を継いだコンスタンティヌス2世は親族皆殺しからその治世を開始しているが、キリスト教徒であった。

 では「神道」が平和的であったかというと、それは歴史的健忘症というしかあるまい。鎌倉時代や戦国時代の存在を忘れたというのは落第生だ。鎌倉時代の執権政治をめぐる御家人たちの凄惨な闘争は目を覆うべきだ。戦国時代は言を待たずだろう。

 「それは明治維新前ではないか」と主張を後退させながら、条件付けをするヒトもいるだろう。
 それに近代国家は否応なしに戦争に巻き込まれたので、日清日露や第一次世界大戦満州事変や日中戦争、太平洋戦争も除外せよ、というだろう。
 「あの頃のあれは国家神道であって、本来の神道ではない」のだと、主張するのも目に見えている。
 宜しい。
 国家神道が邪道に落ち込んでしまったというのであれば、地元にそのままあった神道は近代において「平和的」であったろうか?
 国家権力に属さない神道家たちは平和的であったろうか?

どうも、そうではないようだ。
 神風連の乱を見たまえ。1876年(明治9)に熊本で起こった、明治政府への反乱は神道イデオロギーによるものであった。すぐれて排外的な主張と実践を行った熊本敬神党を指して「平和愛好団体」であるとはいえまい。

 というわけで、多神教神道が平和的であるとはおくびにも出さないでほしいです。現代の日本の国際政治や経済的状況が平和であるような環境を生み出しているとしたほうが妥当でしょう。

 誤解されないように駄言を付します。個人的には神風連の人たちは悪モンとは違うと思います。真面目すぎて節を曲げない人は厄介者になるということですかね。このころ、熊本バンドというキリスト教信者の若者たちが同時代的に存在しているのは熊本人(肥後もっこす)を考える上で示唆的っすね。


 『逝きし世の面影』の渡辺京二による敬神党の評伝

神風連とその時代 (MC新書)

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