環状列石から環状列柱へ

 日本のストーンサークルというと秋田県の大湯ストーンサークルに指を折る。二箇所に分かれてあり、万座列石と野中堂列石である。万座列石は外径46メートル、内径15メートル。野中堂列石は外径42メートル、内径12メートルだ。
 国内最大であり、国の特別史跡ともなっている。
 この他にも東日本に環状列石が幾つか、発見&保存されている。青森県の小牧野遺跡は外径36メートルで、内径30メートルとされる。大湯のもののバリエーションだとされている。
 岩手県の西田遺跡もそうだが、ここは特異な村落構造であるようだ。墓場の外周に柱穴群があり、その周りに住居があった。この柱穴は円環というより、長方形状だとされる。
 長野県上原(わっぱら)遺跡は大町市平野口にある。大量の配石跡が発掘されたが、破壊されてしまった。
 東京都の町田市小山町田端で発見されたのが、田端遺跡。9メートル☓7メートルの楕円状の環状積石が見られた。
 おおむね、こうした環状列石は縄文期の前期から中期にかけての東日本で見られる。

縄文の後期になると北陸を中心にウッドサークルとも呼ばれる環状列柱が出現する。
 まず、石川県金沢市新保本町のチカモリ遺跡、ここでは大小とりませ347本もの本柱根が発見されている。また、その近所ともいえる、石川県鳳珠郡能登町字真脇の真脇遺跡などである。

 環状列柱の特徴を真脇遺跡の資料から引用する。
「半割り材が全部で十八本、一番太いのは直径一メートル近く...」もある。
遺跡には三重の円環の跡があり、その内最大なものは「十本の柱で囲んだと思われる直径七メートルの円環」だったとされる。

 巨木を半割にして平らな面を内側に円環の広場を形成したのだ。あたかも祭儀場のように。ポストモダン的にいうなら、エヴァンゲリオンの「Seele」のように。

 ストーンサークルにせよ、ウッドサークルにせよ環状アゴラの遺跡は生活用具と一体的な建造物だったと推察される。石器しかない時代には自然石や採掘場の岩石を配して祭儀場を生み出し、木材加工が進むと巨木で建造物を造営するようになる。
 縄文後期ともなると木工道具にも一段と進展があったのであろう。金属器の発見こそないけれど石器だけでの切り出しの時代は終わったのだろう。
円環の構造は自然のサイクル、とくに太陽の年周期を感じ取るのにも適していた。古代縄文人は立石の影が一定の周期で消長し、季節のリズムと一致するのを知っていたはずだ。日時計はその末裔であろう。
 自然祭儀が円環の時間と空間のなかで執り行われるのは理の当然ということになりそうだ。

 追記 それで思い出したが縄文人の頭蓋骨での特徴は前歯の著しい摩耗であるとされる。繊維の製造や加工の道具は石器と骨器以外にほとんど無く、歯で様々な生活用品を生み出していたのだろう。縄や紐はその最たるものだった。だからこそ土器にその産物を用いたりしたのだろう。


 真脇遺跡の所在。北陸の豊穣の日本海で500年もの間、共同体を運営していた。


【参考文献】

日本考古学事典

日本考古学事典

日本古代遺跡事典

日本古代遺跡事典

 真脇遺跡の状況報告の唯一の文庫