兵馬俑と埴輪の比較霊魂論

 秦の時代といえば前三世紀であり、いかに兵馬俑が古代であるといっても後三世紀の日本の古代=古墳時代前期より数百年も前だ。だからこそ、そのありえない程の写実主義は「秦」の人間像が確固たるものだったかを物語るのであろう。兵馬俑で不思議なのは個々の人物が異なることとその描写の正確さだ。大量生産で同じものを繰り返し製作するやり方に洗脳された資本主義の人間には想像を超えるやり方だ。

 皇帝の墳墓に埋葬される副葬品であるにせよ、どこまでも現世の人間の姿の写身を始皇帝は望んだのだ。そこには幻想性はなく現世の等身大の兵卒や生活の事物がある。

 古墳時代の埴輪はどうも立場が異なる。等身大というよりはフィギュアに近い。しかもその素朴さは古墳時代の人々のものの見方やそのナイーブな感性を伝えているようだ。

 芸術的なものに鋭敏さを優美に表現する和辻哲郎は『日本古代文化』でこう記す。
「この幼稚な彫刻に於ても、その顔面の表一情は特別の注意に侵する。眼と口はたヾ穴とわけたに過ぎぬこの単純た顔面が、奇妙なことに一神獨特な生々しさ、或は優Lさを湛へてゐる」

 始皇帝の時代は春秋戦国時代を駆け抜けた闘争の時代だった。始皇帝は権力を一身に集中させた強力な独裁専制君主だ。
 それに比べると日本の古墳時代地方分権的で、各地の族長が巨大古墳を造営している。かなり平和な時代であったらしい。
 その差異もあろうが、単純さのうちに内面性を造形するセンスはすでに埴輪にあらわれていたということができないだろうか?
 埴輪製作集団というのも土師部として専門化していたらしい。おそらく地方を巡業していたのではないか。