甲賀三郎伝承の周辺

 室町時代初期に成立したとされる『神道集』の一編である「甲賀三郎」伝説は民俗学者や小説家、文芸評論家などの関心をソソってきた。
 そのストーリーのどんでん返しは主人公「甲賀三郎」の地下世界放浪の後、ようやく地上に帰り着いた時である。
 苦難の挙句の果てに、彼の身体は蛇体になっていたのだ。
 その地下世界の遍歴は地上界の妻探しののちのオマケの冒険譚であるのは、『神道集』を読んでもらえばそれでいい。
 自分が興味あるのは、諏訪本地、つまり、諏訪大社の縁起にまつわる廻国伝承であるのだ。この語り部たちはどうやら北関東(群馬北部や長野東部)に本拠地がある放浪芸人であるらしい。その人びとが街道筋を辿りながら「有り難い本地垂迹の物語」を夜なべの語りの場や祭りの場で演じるのだろう。
 諏訪大社の本体は「龍蛇神」と目されており、狩人たちのカミでもあった。それ故にこの社での神饌には獣肉がこれでもか、とばかりに捧げられる。鹿の首75頭分というのは、神社としてはそうとうに肉まみれ血まみれな聖食である。
 甲賀三郎が地下世界を鹿の生肝千枚を食べながら流浪したことを想起させる。長野県の伝承で甲賀三郎と鹿に関わるものを柳田国男編纂の『日本伝説名彙』より引用しておこう。

阿智川の岸にあって、昔、立石村に甲賀三郎引かいたことがあり、猟してきた鹿の皮を乾すのに用いたという。方四問、高さ二間の大岩で鹿岩といい、ともいっている。(郷土また形が獅子に似ているので獅子岩右民す)
長野県下伊那郡三穂村(現飯田市)

立石の地頭甲賀三郎が、あるとき二匹の犬をつれて山へ狩に行くと大鹿が現われ、これを射止めたと思うと鹿はたちまち消えて一寸八分の観音様が現われ給い、それと同時に二匹の犬は石に化した。これを犬石といっている。(郷土石号)
長野県下伊那郡三穂村(現飯田市)

 甲賀三郎はやがては狩猟民の尊崇対象である諏訪の神となる(逆なのかもしれない、狩猟民の神としての甲賀三郎諏訪神社に合祀される。だが、本地譚の世界でのみの話だ)。上社のほうの祭神となり、元妻の春日姫は下社に祀られる。諏訪湖御神渡りもこれで説明がつくわけだ。
 地下の「ゆいまん国」の三百歳となる妻も地上にやって来て「浅間山の大明神」となる。この年齢は何度も脱皮する龍蛇の女神にふさわしい。諏訪のカミが山神の眷属であるのは明らかなのだが、龍蛇神というのは柳田国男のイメージと違うかもしれない。

 さて、甲賀三郎が神へと変化するするのは信濃蓼科山の近く岡谷地方での出来事とされる。この蓼科山の穴から、藤蔓で地下世界に降下したその場所で遷化するわけだ。今でも蓼科山は伝承豊かな山であるのはWIKIを見ていただければわかるが、甲賀三郎伝説もそのひとつなのだ。

 しかしながら、甲賀三郎伝承には謎のミシャグジの神は登場しないし、さらには諏訪の御柱祭りも直接的には語られることはない。語り部のあずかり知らない世界の事象だったのだろうか?



 滋賀県甲賀地方には甲賀三郎ゆかり場所がある。ひとつは旧居であり、石碑が残る。もう一つはこの地域の一宮である敢國神社である。その祭神の一人なのだ。
 興味深くも甲賀一族53家の筆頭である望月家は信濃の佐久郡で本家があった。始祖の名前も「甲賀三郎兼家」という。先祖は信濃から滋賀に渡ってきたのだ。奇妙にも甲賀三郎の道行きと一致する。ただし、忍者の甲賀流甲賀三郎伝説に関係があるかどうかは別問題だ。


 奇妙なことに甲賀三郎の旧居跡が残る。滋賀県甲賀市水口の大岡寺である。


【参考資料】

 柳田国男の「甲賀三郎論」は文献考証などにページを割いていて、素人目にはそれほど読み応えがある研究とは思えない。学術的には相応の値打ちがるのだろうけれど、自分的には評価できない。全集版以外では入手困難な『物語と語り物』の一篇であることは申し添えておこう。

 川村二郎の『語り物の宇宙』の甲賀三郎論がさしずめ大関クラスの評論かつ紀行であることは間違いはあるまい。幻視するものへの憧憬の念が川村二郎を駆り立ていたことはよくわかる。そうして、地下を遍歴するその熱情は神へと祀られる縁となるのも中世らしい結末だ。

語り物の宇宙 (講談社文芸文庫)

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魔の系譜 (講談社学術文庫)

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龍蛇神 諏訪大明神の中世的展開 (樹林舎叢書)

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