前のブログを再説する。「チンバ」は放送禁止の禁句だが聖なるスティグマの意味ととっていただこう。
土偶のうちの一部は原始地母神なのだろう。その痕跡が山姥民話に残されているとする吉田敦彦のような神話学者もいるくらい、その影響は近代まで続いていた。
だとすれば、ほんとに楽しい。
一つ、自分の仮説を呈しておきたい。
土偶がほとんど破壊される。しばしば片手、片目、片足が壊されて埋められるのを何と説明するのか。
茅野市の国宝の「仮面の女神」の出土状況を茅野市考古博物館から引用しておこう。
土偶は、右足が壊れた状態で出土しました。しかも、割れたときにできた破片のひとつが、胴体の割れ口にはまり込んでいました。それ以外の破片も胴体内部や右足の内部に入っていました。もし、この破損が埋めている最中か埋めたあとにできたなら、破片は割れたところかそのすぐ近くにあるはずです。これに加えて、出土したときの向きで胴体と足が接合せず、足を90度以上回転させたところで接合することもわかりました。このため、上で述べたように、わざと足を壊して(取り外して)埋めたのではないか、と考えられるのです。
そして、民俗学から。あの柳田国男の『年中行事覚書』から引用しておこう。
信州の犀川流域などは一般に、物の高低長短があることを山の神といい、その根本には山の神が片足神であるという俗信がまだ残っているらしい。現在は片足神がすでにちんばとなり、それ故にまたこの日の膳に長短の箸を上げ、さらに長いものをもう一本、杖つえとして添えるのだなどといっている処も方々にあるようだが、最初はただ我々の山の神が一本足で山を降り昇りせられるものと、単純に信じ得た時代もあったのだが、追々とそんな事は信じにくく、古い話を少しずつ改造しなければならぬようになったのではあるまいか。私などの聴いているだけでも、今でも山中にそうした形をした霊物が住むという話が怪談のようになって各地に保存せられている。
かの遮光器土偶(青森県)も片足で出土したのは、片足の神が本来のあり方だったからではないか?
下の写真は青森県の宇鉄遺跡のものだ。右足が欠けている。右手も損耗しているように見える。
神の像であった土偶は土に戻される時に本来の姿に立ち帰る。
『一つ目小僧その他』でも目次で見られるように、すでに片目の異神たちの列だ。
1つ目小僧 一〜二一 補遺 目一つ五郎考 多度の竜神 神蛇一眼の由来 一つ目と片目 神片目 御霊の後裔 神人目を奉る
これに相応する土面が秋田県にあった。
縄文人たちはなぜ神の像たる土偶を毀損し埋めたのか? 完成した神像を隻眼と片足、それに隻手に似せて壊し、丁寧に埋める。見捨てられたのであろうあろうか? それとも土中に戻して再生を祈ったのであろうあろうか?
しかして、その非対称で不自由な神の身体は、何を語りかけてくれるのか?
【参考文献】
この本の序文にあるようにサザビーズのオークションで土偶がとんでもない高額で落札された。まあ、そのユニークさが評価されていることなのだろう。
- 作者: 江坂輝彌
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2018/01/13
- メディア: 文庫
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山姥の昔話を古事記日本書紀と対比させ、南方の神話の類似点を論じた先駆的著作。「第七章 縄文時代中期の土偶と土器」が面白い。
- 作者: 吉田敦彦
- 出版社/メーカー: 中央公論社
- 発売日: 1992/04
- メディア: 新書
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