八丈島の民話と本土の共通性

 鳥も通わぬ離島とまでいわれる八丈島は東京から290キロほどの距離にある。それほどまで離れていているにもかかわらず、縄文時代の遺跡が残されていて有史以前から本土との交流があったのはビックリである。

 その八丈島の民話集(1974年の未来社版)から、どれほど共通の民話があるかを拾い出してみよう。
「やまんばァ」「女に化けた猫」「ほととぎすの兄弟」「化け猫退治」「一つ目の女」「みこし入道」「すずめとうぐいす」「ベニジャラとカケジャラ」などだ。タイトルからして民話ファンには馴染みであろう。これはどうやら流人文化の名残りらしい。
 猫や小鳥といった本土と同じ生き物を主人公にしているのが目につく。また、山姥がここにも漂着しているのは少々驚きでもある。

 宇喜多秀家とその付き人に代表されるような江戸時代初期からの多数の流人が島人たちに本土の昔話を伝えたのだろうと考えられている。妖怪話が多いのも特徴かもしれない。
 「テンジと山番」ではテンジなるいたずら好きの妖怪が人に腕を切り落とされるが、その腕を返してやると恩返ししたという報恩譚が語られる。情けないが情に厚いへんな化け物である。テンジってなんなのだろう。

 神話的な話もある。近藤富蔵の『八丈実記』によれば、こうだ。

 大国主命の子の事代の命は出雲を国譲りした後、一族と八人の后をつれて伊豆の三宅島まで来て、后たちに言った。「これよりそれぞれ島に渡って治めてもらう」
 八十八重姫(やそやえひめ)は沖ノ島八丈島の古名)に着いて、三宅島の事代の命に無事に着いたことを知らせようと心で念じると足元が膨れ上がって東山になり、手を振って到着を知らせることができたという。
 それが優婆夷の神社として島の親神になっている。

 あるいは縄文系の神はその信者たちともに辺境で生き続けたのかもしれず、それがこうした神話的響きをもつ民話において残響しているのは、まことに興味がつきない。

 女神の由来を考えるうえでも参考になる。元来、島の女神は海を渡ってくるものであり、ある家系の神(例えば複数の后や姉妹)が外部から渡来するのだ。山は女神が育てたものであり、その支配者として山の神という相貌も兼任するというような解釈もできるだろう。


八丈島の民話 (日本の民話 新版 40)

八丈島の民話 (日本の民話 新版 40)