ミカワリもしくはミカエリ婆さんとは何者ぞ!

 国民的妖怪作家ともなった水木しげる師の遷化や妖怪ウォッチ人気など妖怪ブームの若い層への浸透&定着とともに大人にとって馴染みのない妖怪も子どもには当たり前になった。
まことに不思議な国ニッポンである。
 その代表例というわけでもないが「ミカワリもしくはミカエリ婆さん」というのが南関東一帯に伝わる。いまでも信じている民人こそいなかろうが、メディア界には跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)しているのだ。

 表題の「ミカワリもしくはミカエリ婆さん」あるいはwikiでは箕借り婆多摩丘陵を中心に12月8日に姿をあらわすという。
 名称がこれまたいろいろある。ミカリ婆さん、ヨウカゾウ、ミカリバアサン,八日ゾウ、メカリバアサン、ヨウカドウなどなど。関連する妖怪を幅広く捉えると145種になると「怪異・妖怪伝承データベース」ははじき出す。
 民俗学でいう「事八日」という年中行事と関わりが深く、八日ゾウやヨウカドウというらしいが、この日(12月8日か2月8日)には箕借り婆が家の中を覗くとされる。
 
 実は多摩丘陵でも小田急線や田園都市線沿線に多く、その話しが残っていた。横浜市港北区太尾町、同市鶴見区獅子ヶ谷町、同市青葉区市ケ尾町、川崎市菅生小字初山など十分に都会となってしまった地域に妖怪婆さんが出入りしていたことになる。
 それを掘り出してきたのが柳田国男ということになる。『年中行事覚書』なる妖怪変化と無関係なタイトルの著書でミカエリ婆さんのフィールドワークの結果を残した。同時代の誰もが気にもかけていない風俗を拾い出してきているのだ。

 さらに、柳田国男はその中の「ミカワリ考の試み」で詳細に分析している。
 出でしあたりにある文章を引こう。

自分が毎朝顔を洗う二階の窓から、富士山の方角すなわち西々南に見える多摩川対岸の丘陵地帯は、この私のいう八日節供の風習の、比較的濃厚に伝わっている区域なのであるが、昨年の秋の頃、よくこの辺をあるきまわる稲垣、石井などという青年の口から、ミカエリバアサンの話というのを私は聴いた。

そして、過去の習俗や地方の伝承と結合する。

 歳時習俗語彙を見た人は知っているだろう。この晩はまた目一つ小僧もしくは一つ目小僧という怪物が、やってきて家々を覗くという晩でもあった。この一つ目小僧の領域は中々広く、奥州でいうヒトツマナグなどは、きっと八日の夜ときまっているかどうか、まだ少々心もとないが、栃木県などはたしかにそれであり、十二月の八日に来るものをダイマナコ、他の一方のを、小マナコと分けていう処もあれば、一部ではまたヤツマナコといって、眼の八つある怪物がやって来るともいい、とにかくにメカイという眼の多い竹籠を、竿のさきに引掛けて軒に出しておくのを、今ではこの好ましからぬ訪問者の撃退策のようにも説明しているのである。

そして、結論めいたものをチラ見せしたあと、妖怪畏怖の心理を書き留めている。

自分はミカワリは物忌のことで、常日頃の肉体を、神を祭るに適するような身に改めること、すなわち身変りではなかったかと思っているのである。

忌を守らぬ者の心の不安は、いつでもこういう形を以て表出せられているからである。妖怪変化の出現というものが、大体にこの法則に支配せられていた。

 そして、この末尾に後世への問いかけを書き記す。

ただ何としても不思議でならぬことは、そういう月もない頃の夜の真夜中に、里をあるいてまわる神の眼を、たった一つとはどうして考え出したかということである

 という柳田国男の疑問はまだ、残されたままである。

おまけ
 一つ目の神さまの御姿