近藤重蔵の富士塚

 幕末にちかい寛政の頃に活躍した幕臣近藤重蔵択捉島探検などに足跡を残した。歌重の版画『目黒新富士』は近藤重蔵の邸内に建造されている。富士塚とは富士山信仰(江戸時代から明治時代にかけて)の史跡だ。富士山のミニチュアをご近所に築造して老若男女だれでも気軽に参詣できるようにした和風の信仰テーマパークだ。
 今でこそ、その富士塚は残されてはいないが、かなりの大きさであったらしい。

 この富士塚は内部に大日如来像があるなど、かなり凝った、しかも謎を秘めた富士塚であったらしい。
http://hibiscusfujizzz.blog.shinobi.jp/Category/36/
 
 場所はここらあたりだとか。


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 長男の富蔵が起こした刃傷沙汰で近藤家は取り潰しとなる。
この富蔵は八丈島の遠流となる。そこで彼が書きためていくのが、『八丈実記』という民俗誌である。貴重な地誌である。
http://www.soumu.metro.tokyo.jp/01soumu/archives/0701syoko_kara03.htm

 その『八丈実記』の「丹那婆(たなば)」の伝説は日本特有の洪水伝説ということになろう。沖縄の八重垣島の津波伝説などと比較するのも一興だろう。

 古田武彦がこの伝説を自説のなかで披露している。