あるアニメ好きの外国人の発言によれば、日本は巨大なロボットが守る国だと信じていたという。鉄人28号からマジンガーZ、ガンダムやエバに至るまでガタイのデカイロボットが大活躍する伝統がアニメにはあった。
では、アニメであるにしても、ことさらロボットを巨大化する文化的背景があったのであろうか?
その回答の一部は折口信夫にあると思う。『人形の起源』からの引用だ。
大きな人形は、人が中に這入つたのが最初である。次いで人が這入らなくなり、体を露出して其形を作るやうになつた。それがやがて、手で使ふ人形に変化した。人間は隠れてゐる。つまり、元は人形と人間が同じだつたが、次第に分離した。
写真で御承知であらうが、南洋辺の土人の祭りでは、人間が恐しい巨人の扮装をする。これは信仰の意味を豊かに持つ。日本でも、南方にはこの風習が残つて居る。北へ行くほど人形がおとなしくなる。
彼は、また、こうも指摘している。八幡神という中世の神が都に進行するときに地方の荒ぶる神々を従えてきた。それらの荒ぶる神は巨大な人形の姿をとっていた。
八幡神の信仰が、宣伝せられて行く中に、地方々々の神々を含んで行つた。それ等の神々は、巨人の形をとつて、其土地の八幡神の信仰を受け持つことになつた。
力あるものを巨大な人とするのは九州の弥五郎どんやダイダラボッチだけではない。凶悪な神は畏敬の念を持たれていたが、より強力なイマキの神がくると大きな人形化され、脇座の神となる。真の主神は姿をもたないのだ。
彼らは祭りの中で顕現するのだ。
そして、アニメでも祝祭でも日本では結局のところ、こうなるのだ。
この巨人の人形は、村を訪問して来た神を指す。これを踊り神と称して、人々も一緒に踊る。