奈良の東大寺と新羅の関係

 奈良の古寺であり、国宝である東大寺華厳宗の総本山である。つまりはその大仏は華厳宗の権化ともいうべき盧舎那大仏(るしゃなだいぶつ)なわけだ。
 ところで華厳宗の教えはもちろん中国伝来なのだろうが、新羅の影響はただならぬ。そもそも奈良時代においては百済新羅が仏教先進国であったのは仏教史の聞きかじった人なら常識であろう。
 その最新・最奥の教えが華厳宗華厳経の教義であった。大乗仏教の最前線。衆生を救うための慈悲大願の教えであり、鎮護国家の始まりにあたる。
 とりわけても、自分には衆生には本来佛性が具わるとしたその主客反転の思考が新鮮である。この教えの源泉には『維摩経』があり、その「一念不生を仏となす」はすべての生あるものを彼岸に導こうとする巨大な求道精神の発露だった。
 誰でも救われる特性があり、誰でも仏陀になれるという衝動は、日本的霊性の一つである禅宗に伝染してゆくだろう。
 閑話休題
 その指導僧が新羅の義湘(ウィサン)であった。我が空海と同じく中国華厳の奥義を会得し、新羅に遍くその影響を及ぼした傑僧であろう。
その新羅の学匠、審祥に良弁(東大寺開祖)が華厳宗の講義を受けたのが始まりだった。良弁はその教えに感化され聖武天皇に願い出て、東大寺建立を進めるのだ。
国宝の起源には新羅華厳の伝統があるのだ。
 後代となるが、明恵上人は華厳宗に属する聖人である。彼は新羅の義湘を殊のほか尊崇したことを日本人たるもの知っておかねばならぬ。

 インドネシアのボロブドゥールも華厳宗の寺院遺跡であることはトリビアならぬ雑知識かもしれないが、華厳宗の歴史と東アジアでの反響に心を寄せる者は記憶する価値のあることだろう。

 大乗仏教を介しての古代国家の合従連衡は現代の経済的グローバル化と同じくらい広大であったわけだ。


華厳の思想 (講談社学術文庫)

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朝鮮仏教の寺と歴史

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