『スラムダンク』の生きざまが新興国の時代精神

 鎌倉の江ノ電踏切が東南アジアの観光客の「聖地」と化しているのは、数年前からだ。 
なんと、アニメの舞台を「聖地」化するというビヘイビアまでもオタクと類似してきているわけである。
 なぜ、東南アジアの若者が「スラムダンク」に心を寄せるかというと、彼らの生活環境と経済成長が往時の日本に似ているからだろうというのが一次回答になろう。
 この漫画の主人公たち、桜木花道とその仲間たちは、学校教育の落ちこぼれである。意気がってバンカラで常に縄張り活動をして暴力沙汰を引き起こしながら、そのクセ友情には厚い。いい奴らだ。根は善良なのだが、新しい産業システムの管理社会ではその才能は活かせない。
 でも、バスケットボールがあったのだ。
 このスポーツを通して自己実現できることに気づき、それに情熱を注ぎ込むようになる。教室の底辺から学校のヒーローに変容しはじめる。
 つまり、新しい産業システムの鋳型に組み込まれて、まっとうな生き方を歩むようになるのだ。
このようにしてカタギの生き方をはじめた若ものは、日本にも多かったことだろう。漫画の持つ雰囲気や主題歌の熱気は、そうだ鉄を打ち直すときに熱なのかもしれない。
スポ根アニメ全盛期はそんな時代だったとされる。
 台湾やベトナム、フィリピンやインドネシアの若ものたちも、往時の日本に似た産業システムへの組み込みがコンバインのように動いている。新興国ではつい十年前まではスラムだった街も変貌し、底辺を抜け出して豊かさを実感しだしているのだ。
 こうした社会では十代の若ものたちの人口比が高く、多くは生きる場を探しあぐねている。でも経済成長が彼らのサクセスやチャレンジの夢を育んでいるような環境にある。
 アニメが現実であるというイマジネーションを強化するためには、産業システムに同化して、組織的労働を産業システムに提供しなければならない。
 聖地巡礼とはアニメの主人公たちへの同化への衝動である。それが、彼らを駆り立てるのだ。

 いま、YOUTUBEには異国語の「SlumDunk」動画が溢れている。その書き込みが彼らの心象を物語る。
 湘北高校三井寿がスゴイといういくもの彼らのコメントを読むことができるのも、そのアカシではないだろうか?



 OP/EDともに時代の熱気と覇気をいまに伝えている。