「デブ」の用例 Pig-Data Analysis

 最近ではメタボに置き換わってきているようだが、太った人をいつ頃から「デブ」と呼ぶようになったのだろう。
 「デブ」は江戸時代にはなかったとされ、明治期になってから「でぶでぶ」した人という用語を口語で省略するようになったからとされているようだ。それが昭和のどこかで「デブ」に変貌した。蔑視が含まれるようになり、悪化としてもいい。
 それを近代文学による書誌的な実例で探してみたい。

 青空文庫ビッグデータでそれを検証してみよう。青空文庫は収録作品数:14811(著作権なし:14523、著作権あり:288)で全文検索可能なので、ビッグデータと呼んでもいいだろう。あるいはピッグデータ分析ととぼけてもいいか。
美食家の北大路魯山人の表現に「流れのにぶい川の鮎は、肉がでぶでぶしていて不味い」とある。
『若鮎の気品を食う』の一文だ。北大路 魯山人は1883年(明治16年)生まれ。
いかにも審美主義者らしい表現だ。

 民俗学者歌人折口信夫 『役者の一生』からだが、おそらく大正時代の文章だろう。
「大阪の実川正調も名女形だったが、でぶでぶ肥って融通の利かぬ女形で、いつも三十代の女房、武家女房しか出来ず、東京の秀調よりはまあましであったが、美しくはなかった。」

 次の例。

あんたは本当にせんかも知らんが、アルバム見りやちやんとお分りになるが、中学の頃はでぶでぶしてビール樽ちふ仇名ぢやつたのが、高等学校へ入つてぐんと痩せる、

 大阪人の武田麟太郎 『現代詩』が出典だ。武田の生没年は1904年5月9日 - 1946年3月31日なので、戦後間もなく亡くなったわけだ。大正期の人間というべきだろう。プロレタリア作家だった。

 意外なのは泉鏡花だ。
 その『白花の朝顔』には「でぶでぶした、ある、その、安待合の女房が」というのがあるが、これは昭和初期の文章だ。鏡花はデブの女性への嫌悪感がこもっている。上品さと文学的香気が特質の鏡花でも太った人はでぶでぶなのだ。

 もっとも早い「でぶ」の用例を海野十三に見つけた。
その『獣』にはこうある「永田純助という敬二の仲よしだった。彼はおそろしく身体の大きなデブちゃんであった」
 また、芸人である古川緑波の『古川ロッパ昭和日記 昭和十一年』では「淡谷のり子・田村邦男等同車、食堂でデブばかりで寄せ書きを書いたりして楽しく名古屋へ着く」とある。

 昭和初期では都会人は「デブ」というようになっていたが、それは束の間の幻影だったようだ。なぜなら、満州事変以降食糧事情は悪化の一途をたどるからだ。

 戦後の坂口安吾になるとカタカナで「デブ」が現れ来る。その作品はいかにも戦後の混乱期の雰囲気だ。その『町内の二天才』では「鉄工所のデブは職工じゃないか。みんないい若い者だ。大人じゃないか」また、『桐生通信』で「その代り町全体が石段の斜面だからデブの私には町の散歩が苦手だ。」とある。

梅崎春生も戦後の作家だが混乱期は終わったあたりで活躍していた。
『ボロ家の春秋』にはこうある「この中華飯店のデブ主人が芸術に理解があるなんて、意外でもあり、またとても嬉しくなったものですから、僕も胸を張って言いました」

というわけで、「でぶでぶ」は戦前の大正期以降の文章にはよくある。しかし、エログロナンセンスの昭和初期になると時代の殺伐さに合わせて、身も蓋もない「デブ」に置き換わり、ついには戦後を迎えるのだ。

 蝶々であった「てふてふ」を蝶とも呼ぶようになったのと軌を一にしているようだ。