アダム・スミスの罠 経済のグローバル化&自由化の落し穴

 経済学の開始をアダム・スミスの『国富論』に求める人は多いだろう。

その印象的な節で彼はピンの工場での分業化と集中生産の効率性を説明している。

製品は部品と工程別に分解され、それを請負う人が多数回反復することで、手際よく

しかも、テイラーシステムが後年成功を修めたように、均一で良い品質の製品を大量に生みだせる。

 この様に管理された工場生産は富を生み出す原動力になるとアダム・スミスは考えた。イギリスは産業革命でそれを先導した。そして、世界への工業化社会の到来がやってきた。ガンジーのような先見の明がある人の抵抗を押し切って、量産された安くて良い商品が世界中を席捲したのだ。

 ところで、我々の世代は「安くて良い商品」のもたらす負の側面に気づきだしたところだ。毎年のごとく出回る新製品に押し出される大量のゴミ、不正な労働条件で働く後発国の人びとの存在だけではなく、自国の労働環境の歪みもそこに起因していることに気づいたわけだ。

 好例がアメリカ人の貧困層の増大だ。自国内の安定した職場や職業は失われ、非正規雇用レイオフと再雇用の反復が増えた。アメリカの農業は大規模化(アダムスミス化)しており、大きな雇用を生み出すことがない。

 製造業は家電や消費財にいたるまでほとんど全てが海外の工場にシフトしてしまった。地元の中小企業はサービス業中心であろう。その主柱の一つだった小売業はネット通販により押しつぶされてしまった。

 よって20世紀までは安定的に仕事を持っていた世代であったが、21世紀になりそうした仕事を得る機会は急減しいった。とくにリーマンショック以降は労働者における中間階級はおおきく減少したといわれている。

 アダムスミスの効率性を実現するために、アメリカの企業は自由化とグローバル化を追求した。それは株主と経営者の利益の追求だったからだ。

 大多数であるはずの有権者たちはどうしたものかアメリカの政治家からは、置いてきぼりにされたわけである。その結果がトランプ現象なのだ。