偉大な知的遺産に依拠した奇天烈な冒険

 超常現象のビリーバーは山ほど新手の超常現象を生成してくれる。そのなかには超クルクルパーな超常現象論を開陳する人たちもいる。それはそれで興味深くも面白いのだが、やはりそれは人智のフロンティア精神には乏しいのではないかと感じることが多い。

 自分にとってより面白くて興味深くあるのは、過去の偉大な知的遺産に対して、冒涜的かもしない拡大解釈を加えることだ。奇天烈な理論を自己流にひねくり回すのが愉悦である。

 その一例だ。ノイマンの自己増殖オートマトン理論の冒涜的解釈。

自分の部品を生産する工場があるとしよう。その工場がある日思い立って、自分と同じ工場を建てることにした。しかも、工場の建屋や装置や配電盤など一切合切を複製して同じタイミングで二つの同じ工場をつくる。その抽象版がノイマンの理論だろう。

フォン・ノイマン自身は自己増殖オートマトン理論をチューリングマシンの拡張版と考えていたのだろう。それを仕上げる時間はノイマンには残されていなかった。

 ノイマンの議論の現実的な対象物としては原核生物があげられる。

 同時に自分自身を複製するところまではノイマンのモデルにはないだろう。だが、奇天烈理論マニアとしての自分はその基礎をカントール無限論と選択公理の結論としてのバナッハ・タルスキ定理に求める。

 工場はバナッハ操作によって二重化できるのだ!

みたいのが、自分の嗜好にあう奇天烈な知的冒険なのであります。

 クルクルパーの奇天烈な見解に対して折り目正しく論破するのより、偉大な知的遺産に対してクルクルパーな議論を積み重ねるほうが面白くてしょうがない。

 自分の性根についてのしょうもないお話でございました。