中国製造業の本質的弱点

 今年、世界最大手のソーラーパネル企業「サンテックパワー」はあえなく破綻した。2年前にはNHKなどでエリート経営と基礎技術への投資などを驚嘆の念を込められて報じられていたのにもかかわらずだ。
 多くの識者の一致する中国製造業の本質的弱点は技術革新の不在だ。
 確かに中国のGDPは世界第二位にまで上りつめた。その原動力は「世界の工場」となることで得た海外からの投資と技術移転だったし、中国人民の努力だった。豊かさへの切符は工場労働にあったのだ。
 このGDPグラフを見てほしい。

 一人あたりのGDPに引き直すとこうなる。まことに驚異的な成長ではある。

 では、ここまで発展しているのに、どうして技術革新の不在を言うのか。
 技術者が不足しているのか?
 そんなことはない。
 研究者の数も研究費も十分であるとある調査官は語っている。それは伊佐進一「科学技術大国」中国の真実」で語られている。

 同じ著者は技術革新がないと指摘する。平成22年の指摘だから十分最近だ。経済発展が板についた時期であるので、中国人もR&Dの余裕はできているはずだ。
 あるいはポール・クルーグマンも1990年代の東南アジアの経済発展に技術革新はなく海外投資が原因であることを指摘している。中国の技術革新は見えないだけなのだろうか?
 観測期間の短さに技術革新の不在の理由があるのではない。しかし、翻って深く中国共産主義の思想的体質を考えてみると、中国経済に本質的な欠陥があるのは宿命のようだ。国家的宿痾というべきなのだ。

 例えば、国家資本主義となる前からの中国の近代科学への貢献を顧みればよいのだ。
 科学系ノーベル賞が皆無であるという事実からスタートしよう。
 断じて、中国人の能力のせいではない。例えば、素粒子論の楊振寧(よう しんねい)などがいる。中華民国の出身だが。中国本土には地味だが数論の陳景潤もいた。
日本人にはどうしても取れないチューリング賞も台湾人が先取している。
 実のところ、海外に抜け出た中国人は才能を十分に開花させたが、国内にいた中国人は才能が埋もれる傾向があった。いや、圧砕されているのだろう。
 同時代のソ連との比較でもその差は歴然としている。同じような言論統制下でもソ連は物理学で健闘した。
 同じ期間、中国には皆無である。人口が多いし、ソ連よりも政治的に安定していたのにもかかわらずだ。

レフ・ランダウ、物理学賞、アゼルバイジャン、1962年
ニコライ・バソフ、物理学賞、1964年
アレクサンドル・プロホロフ、物理学賞、1964年
ピョートル・カピッツァ、物理学賞、1978年
ジョレス・アルフョーロフ、物理学賞、2000年
アレクセイ・アブリコソフ、物理学賞、2003年
ヴィタリー・ギンツブルク、物理学賞、2003年
コンスタンチン・ノボセロフ、物理学賞、2010年

 中国国内には科学技術の発展を蝕むものが巣食っているのだと考える。内的自由度を奪うような思考の拘束衣、毛沢東主義のようなイデオロギーが研究者たちを脳梗塞状態にしているのだろうか?
 毛沢東主義とは精神主義の一種で「同質性」を重視する。お互いに同志であり、それが身ぐるみ脳ぐるみオルグに一体化されることが基本姿勢だ。外面のみ結果のみがすべてなのだ。
 ソ連圏とのこの格差の罪は文化大革命にあることは、ほとんど異論ないところだ。「科学」の伝統は1960年代に断ち切られた。それは天安門事件以上の深いトラウマを中国精神に遺した。

 それが製造業の技術革新性に伝染している。経営学者の丸山知雄が「同質性の罠」と呼ぶものだ。
 戦略的には差別化戦略価格戦略の二種がある。中国国内の製造業は、おおむね低価格でシェアを取りに行く。その開発手法は「垂直分裂」と言われている。
 いわばサプライヤーから部品を寄せ集めて組み立てるだけなのだ。ほとんど固有の自律的技術革新は入る余地がない。結果として、家電もパソコンも携帯電話も「同質性の罠」に嵌り込む。

 この「同質性」なるものは、中国共産党の規範そのものではなかろうか?

 かくて、資本と人口増により支えられた中国経済は踊り場にきた。新古典派経済学ではソローの経済発展論がほぼ定説となった。資本と人口増、それに技術革新が経済発展の三大要因だ。
 その技術革新は中国本土ではきわめて乏しい。

 さらに、発展に寄与する要素としてエネルギー効率があるとされる。いわゆるソロー残差を埋めるのはエネルギーの効率だとライナー・キュンメルは指摘している。だが、石炭火力が主力である発電インフラはどうにも旧弊であり、PM2.5炭酸ガスを山のようにばら撒くので悪名高い。

 経済発展を持続する力は、この反合理的政体の国家にあっては、あまりにもか弱い。上からの統制という仕組み自体がテクノエリートの発現を押し殺し、民衆からの技術革新を摘んでいるのだ。日本のような職人的な革新すら起きない。
 矛盾そのものが中華人民共和国であり、その開祖である毛沢東の思想なのだ。*1
 中華人民共和国共産主義体制を墨守する限りでは、持続的な社会であった。毛沢東の路線も衆愚的ながら、人民がそれなりに自足しながら生活に安住できるものだったろう。
 訒小平路線は国家経済発展の道だったのであろうが、それは不安定性と不確実性への投企であった。なぜなら、共産主義的な同質化イデオロギーが自由な技術的発明とその開花を押しつぶすからだ。それが中華人民共和国が選んだ厳しいイバラの道なのだ。哀れなのは大多数の人民なのだ。
 小数エリートの最大幸福および圧倒多数の最小幸福。それが彼の国の帰結だ。

「科学技術大国」中国の真実 (講談社現代新書)

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中国エネルギー事情 (岩波新書)

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地球最後のオイルショック (新潮選書)

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開発経済論 第2版 (岩波テキストブックス)

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文化大革命十年史 (上) (岩波現代文庫―学術)

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実践論/矛盾論 (岩波文庫 青 231-1)

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*1:この内在的な非合理主義は毛沢東の『矛盾論』に凝集されている