工場の思想

 製造業の危機とかで職が国外に流出している。仕事はないよりはあるに越したことはない。確かに大量の職を工場は提供し、多くの付加収入を地域とそこに住む人びとにもたらす。
 その税収は自治体には貴重だろう。農業と異なる定時間の労働での収入は若い人には魅力だろう。
 一方で、それがよってたつ非人間性を忘れてはならない。もう人びとは忘れている。
19世紀にエンゲルスの歴史的リサーチがある。『イギリスにおける労働者階級の状態』
この綿密な調査により後年のエンゲルスが形成された。40歳で老人とされ再雇用を拒否される工員、女工長時間労働で健康を蝕まれる。そうした記録が溢れている。


 20世紀に入り、それらはやや改善された。それでも工場労働は厳しいものである。
シモーヌ・ヴェイユの『工場日記』は克明な個人の苦悶の記録だ。
 大量生産の機械のパーツと化すことで人間性をすり減らしながら、ひたすらノルマ=数字、
、それは生産量であり、労働時間であり、支払われる賃金であり、休日までの日数だ、そうした数字に支配される。
 肉体の辛苦が思考する力も同情する気持ちも奪ってゆく。

 病弱なインテリであるヴェイユとは違う日本男性が、社会糾弾のためにものしたのが、『自動車絶望工場』である。20世紀後半の経済成長の影の物語りだ。鎌田慧の眼には同時代の日本のシステムは「工場」に見えた。大量生産は人間自身にも及んでいるとこの優れたノンフィクションライターは指弾した。

 巨大な生産機械として工場はヴェイユの時代とは異なるものに変貌している。テイラー方式で「管理」が労働者の一挙手一頭足まで支配する。
 管理される時間は「分」ではなく「秒」となる。一日ごとに生産量はチェックされ、それは工場全体の「数値」をデジタルで記録するコンピュータに権限がある。

 『工場の哲学』はそれらの現場に哲学者が立ち向かおうとした思索の痕跡である。実際のところ、工場をテーマにした考察への思考の努力は、この著作のあとに絶えてしまった。
 あたかもITによる管理の締め付けが全階層に浸透する時代により、工場はその一部に過ぎないものとなったかのようだ。小売業、流通業、運輸運送業あらゆる職場は「工場」に変貌したと言える。

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イギリスにおける労働者階級の状態〈上〉 (科学的社会主義の古典選書)

イギリスにおける労働者階級の状態〈上〉 (科学的社会主義の古典選書)

工場日記 (講談社学術文庫)

工場日記 (講談社学術文庫)

自動車絶望工場 (講談社文庫)

自動車絶望工場 (講談社文庫)


トインビーによる古典的研究は無料でダウンロードできる。
【Arnold Toynbee『Lectures on the industrial revolution of the 18th century in England』(原著英語版)pdf】