日本禅宗の三番目に位置するのが黄檗宗である。明代後期の中国禅が江戸時代初期に伝来したのだ。もとは臨済正宗と称していた。黄檗は臨済の師匠だから黄檗宗というネーミングが悪くはない。
いんげん豆でも有名な隠元隆蒅は1654年62歳で来日した。二十人ほどの弟子を引き連れていたという。なんでも3年の約束での渡日であったが中国本土の情勢(遊牧民族の満州族による清が明を制圧)もあり、また、第4代将軍家綱のバックアップも獲得して、この黄檗山萬福寺という立派な寺院の開祖となった。
全体的に大陸風の鷹揚で雄大な建築様式だ。よくまあ、中国の風儀を持ち込めたものと思う。石だたみの回廊もそのひとつだ。
本尊ではないが布袋像が異彩を放つ。
この弥勒菩薩像が本尊なのであろう。
変わったゆるキャラもおわす。
こうした豪壮な建物は京都の禅寺と一味違う。
この近くに「黄檗鉄眼版宝蔵院」がある。かの一切経を出版した鉄眼さんにちなんだ施設だ。江戸時代に自力で一切経を世に出した巨人だ。その後継者に河口慧海がいるというと不思議なエニシを感じる。河口慧海は明治時代にさらなる仏教経典を求めて禁断の国チベットにこれまた自力で潜行した。黄檗宗の持つパワーというべきか。
鉄眼版はまだ継続して版木をもって出版されているようだ。
寺の裏手には「黄檗球場」があるのが好ましい。黄檗禅師が知ったら何というか。
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