江戸時代も半ばすぎの1822年、今の東京都日野市の中野村で起きた「生まれ変わり」事件が国学者の平田篤胤の関心をいたく刺激した。
その結果残されたのが『勝五郎再生記聞』というフィールドワークである。フィールドワークとしたのは平田翁が事実を克明に記録しようとしたその態度に敬意を表してのこと、実際には平田篤胤の「あの世」への探究心と神道的イデオロギーがミチミチていた。平田国学は戦争中の国家神道にも関わり悪名がまとわりついている。
だが、戦後に柳田国男や折口信夫が敢えて「神道復興」や「新国学」を訴えたときにも平田篤胤は先人として引用されている。それは平田篤胤のあの世への関心や幾つかのフィールドワークが鍵となっているのは多くの人が指摘するとおりだ。
その中野村の小谷田勝五郎の生涯は、その生家の家系の記録とともにある程度、追跡することが可能だ。生没年や家族、墓所なども郷土史家の手によりかなり判明している。何よりもその血縁の家が日野市に存続しているのだ。
現地では勝五郎のことを「ほどくぼ小僧」という愛称をつけているほどだ。地元の思い入れがある。
「遠野物語」による遠野市街興しの類似現象と言えなくもない。
平田篤胤は勝五郎の聞き書きのなかで、さまよう勝五郎の霊を誘導したあの世の老人を「産土神」として解釈している。「産土神=うぶすながみ」というのは生まれる以前から死後の世界まで氏子を守護する神である。氏神と同義ということだ。
民俗学の谷川健一は、海岸で「産屋」を建てるおりに床にまく砂を「うぶすな」としている立石半島での古老の話しに衝撃を受けている。もし正しければ、氏神は祀る風習の起源が海辺にあるのかもしれないわけだ。
それにしても鎖国時代の日本の精神世界というのはちょっとした純粋培養状態にあった。
国学はその最たるモノだ。
本居宣長や平田篤胤は古事記や日本書紀まで時代を遡り、その神話の正しさを19世紀の開化した精神で立証しようとしたのだ。
ナイーブかつプリミティブなのだがなんとなく羨ましいところもあると感じるのは自分だけだろうか?
【参考書】
かつて岩波文庫でも出ていたが入手しにくい状態だ。
- 作者: 平田篤胤,子安宣邦
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大正12年に神道家が編纂した心霊記録文書『幽冥界 研究資料 第一巻 』にも所収されている。
【 『幽冥界 研究資料 第一巻 』】
谷川健一も今は故人となってしまいました。結局、川崎市では「地名学研究所」をかたちにしてあげられなかったのですね。
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さらにこのストーリーは小泉八雲の小説にもとりあげられることになる。それは文明開化の明治である。
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実はこのあたりは数年前のベストセラー『もしも野球部のマネージャーがドラッカーを読んだら』の舞台でもあった。あの小説でも親友の霊的な感応があったっけなあ。程久保高校の野球部が舞台なのだ。勝五郎はどう思うだろう?
程久保周辺