中世神話の闇の奥に秘められた、謎の神 摩多羅神(またらしん)を語ろう。畏怖される忿怒神、たたり神、夜叉神である摩多羅神についてのささやかな覚書である。この神は中世には能などの芸能の守護神として立ち現れる。
また、「死者の肝を食う神」とも伝わる。明治期の力量ある歴史家、喜田貞吉はこのような乱神はわけがわからぬと匙を投げた。
芸能神として天台宗系の寺院に出没する摩多羅神の神像はにこやかに小鼓を打つ、踊る神である。どこにも恐ろしげなところがない御姿である。
比叡山の常行三昧堂が摩多羅神の本貫の地とされる。その祭礼を含む修正会は平泉の毛越寺、日光の輪王寺に伝わっている。かつては天台宗の系列である元慶寺、伊豆走湯山、多武峰、法住寺、解脱寺、善法寺、法性寺、法成寺、円宗寺などにおいても祀られていたであろうとされる。だとすれば全国津々浦々まで、この神は念仏修行僧を見守っていたはずである。
畏れ敬すぺき存在と信じられ、その神像は秘仏として現代まで信仰が伝えられ、阿弥陀仏を念ずる上で不可欠の守護神であったのだ。しかし、それで謎がすべて解明されるわけではない。
摩多羅神の語源は、俗説ではミトラ神だとかという噂がまことしやかに語られているが、権威の多くはマハーカーラの訛伝であるとする。また、道教の神だという主張もある(『日本史を彩る道教の謎』での説だが、どの道教の神と特定されていない)
はじめて招来したの慈覚大師円仁である。彼が残した大陸訪問記である『入唐求法巡礼行記』はライシャワー等により高い評価を受けている。その苦難の旅の過程で幾柱かの神に救われている。多くは彼を助けた新羅の人びとに由来する神のようだ。慈覚大師によって大陸から渡った神ということだ。
しかるに円仁の『入唐求法巡礼行記』には記載がない。
という記録がある『渓嵐拾葉集』が最古である。
しかも、円仁の時代(貞観の頃)には摩多羅神信仰は表立つことはなかった。ただ、円仁開祖の寺院は関東に209寺、東北に331寺ともいうのでその後世への影響は甚大なものがあったことは銘記しておこう。
出所不明の摩多羅神がどのように中世日本に伝わり、あちらこちらの神々を制圧しながら、芸能神としての地歩を固めたのか。何が中世人を畏怖させたのか。 自分的に不思議でしょうがないのが茗荷と関係することだ。神紋は茗荷紋であらせられる。
兎にも角にも、謎が多いのだ。
詳しくは、山本ひろ子の『異神』、あるいは服部幸雄の『宿神論』で探求されている。
【参考書】
山本女史の代表作
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現在でも継承されている摩多羅神の祭礼のフォトドキュメント
平泉の毛越寺の祭礼の記録は一見にしかず。
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