放浪芸を営む流浪の民は日本中世にもいた。その信仰については折口信夫から始まり、林屋辰三郎、脇田晴子、五来重などによる多くの研究がある。
その代表格である服部幸雄の『宿神論』から、芸能民の神の多層性というべき特性を切り抜いておこう。
能の源流は大和古寺の神事に関わる職能民だ。有名な観阿弥・世阿弥などは能役者であり芸能論の大成者がその一員である。田楽や猿楽能から派生した神事を芸術にまで高めた人びとである。
彼らがその先祖としていたのが秦河勝である。聖徳太子の政治を支えた技能者集団かつ渡来人である秦一族の頭目だ。なぜか、世阿弥の『風姿花伝』や『明宿集』に祭り上げられた秦河勝は、登場するにはするものの記紀においては芸能との関わりは一切ない。
播磨の大酒神社は秦河勝を祀るがその土地、坂越は「宿(しゅく)」に通じる。宿神とは芸能民の守護神の総称である。
宿神とその別称の数々は「神は多くの名をもつ」を体現いている。
服部幸雄の研究によれば、摩多羅神がその神の本体であり、外部には秘匿化されていたと服部は指摘する。
秦河勝は習合された一つのペルソナでしかない。宿神とは星宿信仰とも、各地の地域鎮護の神=シャグジやシュクとも同一視されていゆく。習合化されてゆく。
自分がいつも気にかける遊女や傀儡が携える「百太夫」もその一つであろう。境界の神=道祖神とも重ね合わせされてゆく。
石神(シャクジン)もそうした同化された神の系列であろう。
酒の神、技芸の神、性愛の神、多産の神、豊穣の神としての側面も次第に付着していゆくのが中世から近世にかけておきたのであはないか。
放浪の民はその過程でドンドンと差別が深まる。神の民衆化によってその特異性や威力が脱落していったからではなかろうか?
コモディティ化した神はその信徒を道連れに凡庸な存在にしてしまったかのようだ。
【参考文献】
折口信夫や日本宗教学史の成果を踏まえた決定版的な研究。
- 作者: 服部幸雄
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