古代の日本と朝鮮の架け橋 瓢公

 新羅の創設期に登場する謎の人物がいる。瓢公(ここう)である。
この人物は多婆那国(たばなこく)の倭人であるとされる。その地は丹波国もしくは但馬国であるとされる。
 多婆那国の当て字と読み方が万葉仮名に似ていることは偶然ではないであろう。

 朝鮮三国時代の建国神話を伝える『三国史記』にはこうある。

瓢公は未だその族姓を詳らかにせず、もと倭人なり。初め瓢を以て腰に繋ぎ、海を度りて来
たる。故に瓢公と称す。


 ホコセ王が初代の王である。その臣下に瓢公がいる。
 この王は崇神天皇の41年に即位したというが、それはあてにならないであろう。瓢公は何代かにわたり王朝を支える重要人物である。
 瓢公は第四代の昔脱解王のときに再び登場する。
しかも、多婆那国の后が産んだ卵から昔脱解は生まれる。卵は箱に大事に入れられ、金官国南朝鮮)に流れ着く。昔脱解は新羅の都にやってきて、住み着くのが大臣の瓢公の屋敷なのだ。
 これが暗示しているのは、新羅倭国の一地方(但馬)との関係の深さだ。出雲の国引き神話でも新羅から土地を引き寄せたことを思い出しながら、『三国史記』の記事を考えると裏日本は半島南部と交流してた古代を心底感じるのでありますな。

 もっとも関心を持たせるのは竜城国と多婆那国の二説があることではないか。浦島伝説が丹後半島にあることと無縁ではないからだ。

 謎の人物、瓢公について言及した歴史家の本は少ないようだ。李家正文の『韓国の文化誌』は貴重であるといえよう。
 一章を立てて「瓢公とはだれか」を論じている。この本では瓢公は倭人ではなかろうとされているが、そうかと言って他の有力な学説を提示しているわけではない。


韓国の文化誌―歴史と人と生活と

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