三重県桑名市の養老線にある多度大社。
ここの別宮の一目連神社は天目一箇神(あめのまひとつのみこと)を祭神としている。面白いことに、この社殿には扉がなく、イチモクレン様は気ままに風とともに遊飛する。
なんとっても一つ目小僧との連関でこの神社に言及されることが多い(柳田国男の『一つ目小僧その他』がそうだ) 基本的に金属の神、製鉄の神と関わりがあるという。天目一箇神は鍛冶師の神であり作金者(かなだくみ)とされる。
つまりは昔からの技術者たちの祖神というべきわけであり、職人やエンジニアたちが分厚いメガネをかけて細かい細工をしている状況は酷使された眼(マナコ)の神をシンボルとするのにふさわしいのかもしれない。
目一つというこの偏頗さが民俗学者たちの関心をそそっているし、素人的にも好奇心がわく。なんで片目なのだろう?
柳田国男はかつての人身御供の残像を示唆する。捧げる生き物の片目をつぶすのだ。谷川健一は鍛冶師たちが火を長時間みることでスガメになることがその理由だとした。
しかしながら、海外の鍛冶の神は片目であるわけではない。ギリシア神話のヘパイストスは片足が不自由ではあったが、片目ではない。
柳田国男は片目の伝承が広い範囲にわたることにも注目している。片目の龍は多度の水神である。片葉の葦や片目の魚、片目の牛などというのも各地に伝わる。だからこそ『一つ目小僧その他』としたのだ。自分の仮説に満足していなかったのであろう。片目、片足のように何かが欠けた神というのは何やら親愛の情を抱かせるものがある。
片隅に生きる神々の非対称な身体的特徴が口承となって民衆のなかに残ってきたのもそのような親愛の念があったからではなかろうか。
本宮は天津彦根命(あまつひこねのみこと)を祭る。
天目一箇神は天津彦根命の御子神だという。
この素朴ながら神さびる宮のあいだに渡り廊下のようなものがある。両柱が仲が良い証拠なのか。夜の間に人目を避けて会合をしているのであろうか?
多度の地元の言い伝えは雨と龍神の関係をよく伝える。
谷川健一によればこうだ。
土地の人は、毎年、七、八月頃に雷鳴や稲妻がしきりに見られ、暴風が訪れると、この風は一目連がお出かけになるのだから止みはしないとか、もうお出でになった後だから風は止むと言っている。
民俗学者の谷川健一がこの桑名のあたりを歩いていた時代には人びとのあいだに一目連の消息が語られていたのだ。
「一目連さまが暴風にのって移動なさる」との土地の言い伝えは眼裏に片目の龍神の姿をほうふつとさせる。
折口信夫の龍神の論考『龍の伝説』によれば、龍の意の「たつ」は「たづ」ともいう。とすれば多度は「たづ」に由来するというのは間違いないところだろう。
さらに、社の裏側に小さいながら滝がある。おそらくはこの流れを龍に見立てて昔の人達は尊崇してきたのであろう。
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日本の民俗学による身体不自由な神の居おわすことについて思いを致すための一連の必読書。
とくに『青銅の神の足跡』では鍛冶師の神としての天目一箇神の在り処を追跡して多度大社を訪れている。しかし、龍神となった一目連さまはどうも鍛冶屋の神だけでなく他の権能もお持ちのようだ。
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