流觀す山海の圖
俯仰して宇宙を終せば
樂しからずして復た何如
『山海経』は陶淵明の愛読書でもあったそうです。『山海経』は中国最古の地理書です。
自分もまた、この神話的地理書を読んで「扶桑」のイメージ、古代人のメンタルマップ・オブ・ワールドを空想してみました。
扶桑は日本の異称というように中世以降に中国も日本でもそう思い込むようになっていくるですが、それはそれなりの伏線があったというべきでしょう。
山海経の第九巻「海外東經」に扶桑があります。扶桑は巨大な樹木であったようだ。
下に湯谷があり、湯谷の上に扶桑があり、10の太陽が水浴びをする。黒歯国の北であり、大木は水中にあり、9の太陽は下の枝に、1の太陽が上の枝にある
ここで「黒歯国」が例の『魏志倭人伝』でも参照されることを思い出しておこう。女王国(邪馬台国)のはるか南にあるという。魏呉蜀の三国時代の地理と山海経の神話世界はかなり近い世界観であったようだ。
扶桑を房総に比定する説はすでに江戸時代に主張されています。荻生徂徠によれば「上総はかんつふさ、下総は下津房なり、安房もふさといふ字を用ゆ、古の扶桑国なるべしとみえたり」
下總(シモフサ)・上總(カヅサ)は、總(フサ)とは木の枝を謂(イフ)。昔、此國大なる楠を生ず。
つまり、房総の「総」とは枝であり上総と下総は上の枝と下の枝という意味であったようだ。巨樹伝承を受けたその地名は「扶桑」のイメージにふさわしいと思います。
おそらくは縄文後期まで東日本には巨樹が至るところにあったのでしょう。三内丸山遺跡の巨大な栗の柱はその証拠であろう。弥生期にはそれらの巨樹はドンドンと伐採されはしましたが、神樹として聖域には残されていたものも多かったでのしょう。
たとえば、熱海の来宮神社には「本州一の巨樹の大楠」という神樹があります。新幹線のすぐわきですね。
中国や朝鮮などの大陸の人々からすれば、日本の奥地は方向も距離も見分けることもできぬほどの深い森の国であったでしょう。そのここかしこには高さを測れぬほどの巨樹巨木がひしめいていたと想像したいです。
我らの先祖たる島国の住民たちも巨樹に対して世界樹的な聖性を付与して畏敬していたことだと想像するのであります。
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