ピュタゴラスというと古代の数学者だろうということ一般人は分かり済ましたつもりになっている。だがそういう単純な話ではない。
左近寺祥子の『謎の哲学者ピュタゴラス』は分かりやすい内容でありがなら、よく古代の哲学者の情報を伝えてくれる。
その「世界のすべては数である」「10は完全数だ」といったメジャーな教説はともかく、戒律の意味不明すぎる点は引用するに足る事実だろう。
戒律というのはピュタゴラスの教派の集団の規律のことだ。おそらくは宗教団体と似ているが、特定の神を信じる信仰集団というものではなかったようだ。
ピュタゴラスの学問的教えをひたすら守る、そういう珍しい集団だ。学問的教えといっても、生活信条や生き方に大きな制約を課し、おそらくは秘密結社的な友愛の団体であったのだろう。
中国の孔子の弟子たちに似ていようか。あるいは兼愛を説いた墨子の集団のほうが、より似ているのかもしれない。
食の禁制
子宮、赤ボラ、イソギンチャク、及び海で取れるもの
死獣、卵、卵生生物、豆
「豆を食べぬ」というのはピュタゴラスの最期にも関わる風説ともなった。豆は宇宙に似ているからとか、体に害があるとか、身体の一部に似ているからとかいう理由があるようだ。
また、こんな禁制も奇妙に思える。
1)テーブルから落ちたものは拾わない
2)月の神の所有だから白い鶏には触れない
3)魚の中の聖なるものを食べてはいけない
4)パンをちぎらない
また、ネオプラトニズムのボルビュリオスの伝える禁制は
1)秤を踏み越えるな
2)火を剣で掻き立てるな
3)花冠をむしるな
4)心臓を食べるな
5)食糧の上に座るな
6)旅立ったら引き返すな
7)お大通りを歩くな
8)ツバメに巣を造らせるな
9)荷を下ろすのを手伝うな。荷を背負うのを助けよ
10)神々の像をつけた指輪をはめるな
11)神々への献杯は盃の耳を持って行うべし
8)とか9)や11)などはどんな意図があるかを疑う。
これらが数の理論、天文学や音楽と同居してしていたのが古代の科学の面白さだ。
- 作者: 左近司祥子
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