荒神谷遺跡についての情報の幾つか

 出雲神話の舞台である斐川町荒神谷の神庭から、前代未聞の358本という大量の銅剣が発掘された。
 1984年のことだ。弥生時代後期ともくされる。
 まず細目の紹介は省いて、注意すべき情報だけをまとめておく。
1)丘陵の斜面に整然と埋設するというのは何らかの祭儀がここで挙行されたことを意味する。
2)358という数字は太陰暦の1年にほぼ近い
3)荒神信仰は出雲地方でも今なお根強いし、神庭という地名はその祭儀の記憶がウッスラと残留していることを示す。
4)『出雲国風土記』によれば付近の仏教山は神ナビ山とされる

 弥生時代には稲作儀礼として豊穣の祭りには銅剣を埋めていたが、これほど大量に埋める意味は「政治的」なポトラッチとして解釈できるのではないだろうか?
 見かけ上、記紀にも風土記にもそのイベントの対応物はないのだが、真相はどうでしょう〜。

 丘陵斜面の方向は西北向き。地表には目印はない。そうなると一権力者のための儀式ではなく、土地の神に対する祭儀であったのだろう。
風土記によれば近所の「神原の郷」について下記のような起源説話がある。

 神原の郷。郡役所の北4.8キロである。古老が言うには、天下を造成された大神が御宝を積んで置いた場所である。


日本の古代遺跡 (20) 島根

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葬られた王朝―古代出雲の謎を解く (新潮文庫)

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風土記探訪事典

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 実は神庭という地名は瀬戸内海側の岡山にもある。

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