昔の人は岩が音を出す、話す、鳴動するというのを何の不思議もなく自然体で受け入れていた。
おうむ岩、こだま石、山彦石、ほめき石, うなり石、ほいほい石、夜鳴き石、呼ばわり石, さえずり石などいろんな名称が伝わる。音の出し方もさまざまだったのであろう。
小鳥のようにさえずる岩などというのは楽しい現象ではないだろうか。
岩が神の依り代であった時代の記憶なのだろうと研究者は考えている。
具体的な地名では、
福島県田村郡船引町の呼石,青森県南津軽郡波岡町のほいほい石,長野県上伊那郡中川村の鵬鵡石(本魂石),静岡県熱海市の鵬鵡石,和歌山県東牟婁郡本宮町の響き石、長野県上伊那郡高速町の鵬鵡石などが有名だ。
この他にも、山梨県甲府市の三声返しと呼ばれる大岩、新潟県糸魚川市には人に話しかけて注意を促す岩,長野県埴科郡松代町にも人声で物語りをする雑談岩がある。
寺田寅彦であれば物理現象と関係づけて、伝説の由来を解き明かしてくれるかもしれない。
一部の石マニアとでもいうべき人びとは石との無言の対話を愉しんでいるというのは残存しているようだ。
日本以外でも岩との会話をする習俗があるというのは知らない。『デルス・ウザーラ』の原作で岩を拝む人びとの逸話がある。旧名エアーズロック=ウルルはアボリジニの聖地であったりする。なので、神の依代ではあるだろう。
このような多様な音源を古代人は眞面目に感受していたに違いない。その言語学的痕跡が「オノマトペ」だとされる。日本語は多くの言語のなかでもとりわけ擬音語が多い。それは自然のなかから人語を聴き取る程度に比例するのだろう。ルソーもその言語起源の論文で言っていた。
残念ながら、今日の都市伝説では自然の岩が通りがかりの人に声掛けをする事例は起きていない。もはや、岩は黙して語らなくなってしまったのである。
人が能力を喪失したのか、岩が話しかける値打ちもないと人を嫌うようになったのか。
緘黙症になった岩は何を象徴するのであろうか?